Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-405- 【Why Don't We Do It In The Road】

single,Street Fighting Man,米国発禁ジャケット



【 Why Don't We Do It In The Road 】 -5-

 


一方、ポールはジョンをどうみていたのか

 


【資料】

ポール

少ししてからジョンがこの歌を歌っていた。
彼はこれを気に入っていて、たぶん僕といっしょ
やりたかったんだと思う

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.37)

 


ジョンはこの曲が好きだった。
ジョンがこの曲を歌うのをポールが聞いている。

ジョンはポールとこの曲を演奏したかった。
そのことをポールは知っている。

 


【年表】

ポールの曲

1 Blackbird:1人多重録音
2 Ob-La-Di,Ob-La-Da:4人:バンド演奏
3 Helter Skelter:4人:バンド演奏
4 Hey Jude:4人:バンド演奏
5 Mother Nature's Son:1人多重録音
6 Rocky Raccoon::3人(ポール、ジョン、リンゴ):バンド演奏
7 Wild Honey Pie:1人多重録音
8 Back In The USSR:3人(ポール、ジョン、ジョージ) :バンド演奏
9 I Will:3人(ポール、ジョン、リンゴ):バンド演奏
10 Birthday:4人:バンド演奏
11 Honey Pie:4人:バンド演奏
12 Martha Wy Dear:3人(ポール、ジョージ、リンゴ):バンド演奏
13 Why Don't We Do It In The Road:2人(ポール、リンゴ):1人多重録音

 


これはポールの曲の一覧だ。
ポールはWhite Albumのセッションで全部で13曲を録音している。

13曲のうち1人多重録音が4曲、バンド演奏が9曲だ。
バンド演奏の9曲で4人が揃っているのは5曲、揃っていないのは4曲。

ポールの曲で4人が揃ってバンド演奏したのは13曲中で5曲。
ポールがバンド演奏から離れていっているのがわかる。

 


【インタビュー】

ポール

でもRevolution 9の時は彼も同じことをやったんだ。
彼はひとりで、ぼく抜きであれを作った。
なのに誰もそのことは口にしない。
今や彼はナイスガイでぼくはロクデナシなのさ

Beatles 1981年5月3日

(ビートルソングス P.142)

 

:
1980年のインタビューでジョンはポールの1人多重録音に傷ついていたと発言
ジョンが傷ついていたことをポールはこのインタビューで知った。

ポールはジョンが傷ついていたことに衝撃を受けたのだろう。
翌年1981年のインタビューで弁明している。

「ジョンは僕(ポール)の1人多重録音で傷ついたかもしれないが
ジョン自身もRevolution 9では僕(ポール)を参加させないで作った」

「それは僕(ポール)が1人多重録音で作ったのと同じではないか。
僕(ポール)だけでなくジョンもしているじゃないか」

「それなのに僕(ポール)は悪者にされて責められている。
僕(ポール)は衝撃を受けて悲しみに沈んでいる」

「それは不公平ではないか。
僕(ポール)とジョンは同じことをやりあっただけなのに」

ポールはそういう気持ちだっただろう。
ジョンがしたから自分もしたんだという気持ちだったのだろう。

 


【年表】

1968年5月30日
Revolution録音(1と9の原曲)

1968年5月31日
Revolution 1 録音

1968年6月4日
Revolution 1 録音

1968年6月5日
Don't Pass Me By 録音

1968年6月6日
Revolution 9録音
Don't Pass Me By 録音

1968年6月10日
Revolution 9 録音

1968年6月11日
Revolution 9 録音
Blackbird 録音

 


上記の年表はセッションの開始からポールがBlackbirdを
録音するまでの年表だ。

ジョンがしたから僕も同じように1人で録音したんだという
ポールの言い分は正しいのか。

セッション初日の5月30日Revolution(1と9の原曲)を録音する。
翌日と6月4日もRevolutionの録音だ。

6月5日ポールはリンゴと一緒にDon't Pass Me Byを録音する。
翌日6月6日ジョンはRevolution 9の録音を開始する。

ポールはジョンにRevolution 9の録音に誘われなかったので
Don't Pass Me Byの録音のみをした。

6月10日、6月11日とジョンはRevolution 9 の録音をオノ・ヨーコと続ける。
ポールは誘われていない。

6月11日にポールはBlackbirdを録音した。
経過をみると確かにジョンのほうが早い。

ジョンがRevolution 9をポールを参加させないでジョン & ヨーコで録音した。
それを受けてポールはBlackbirdを1人多重録音で録音した。

経過からするとそういうことになる。
ポールの発言は間違ってはいない。

まず最初にジョンがポールを参加させずジョン & ヨーコで録音した。
それが面白くなかったポールは1人多重録音をするようになった。

このときのポールの気持ちはどうだったのか。
あてつけなのか、嫉妬なのか、不貞腐れたのか。

少なくともポールは面白くはなかった。
そしてその気持ちはとても強かっただろう。

その強い感情のためにすぐにポールはジョンにとってのオノ・ヨーコのように
音楽上のパートナーにもなってくれる恋人を探し始める。

 


【資料】

ジョンはこの曲が好きで自分が歌いたかったと語り

ポールはそうはさせなかった。
逆にポールはRevolution 9に自分も関わりたかったのに無視されたのが
心外だった
そこでジョンとジョージが他の作業をしている間に
リンゴを誘ってそっと録音した。
こういうけんかのやり方もあるのか

The Beatles Remastered CD Guide P.150)

 


ジョンが好きな曲だというのはポールはわかっていた。
でもあてつけのためにポールはジョンを誘わなかった。

気づかれないようにリンゴだけ誘って録音した。
これはポールとジョンの冷たい「けんか」だ。

 


【資料】

ローリング・ストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」
 への返答歌

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.37)

 


1968年8月にヒットしたシングル。
ジャケットにはロサンジェルスでの暴動の写真が使われていた。

暴動を煽るということで放送禁止になる。
ミック・ジャガーは反体制のヒーローになった。

 


【資料】

インドで猿が交尾しているのを見かけたポールが
書いた曲

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.75)

 


インドで書いた。サルの交尾を見て触発された。このエピソード自体に
「ストリート・ファイティング・マン」へのからかいと悪意がある。

「ストリート・ファイティング・マン」のリリースは1968年8月
インドで書いたのならばポールは聞けるはずがないので返答歌ではない。

インドでの体験を思い出してWhite Albumのセッション中に作ったのだろうか。
からかいといい悪意といい人を食ったこの曲はジョンとポールにぴったりだ。