Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-410- 【Julia】

Kahlil Gibran



【 Julia 】 -4-

 


歌詞の引用とジュリアへの愛

 

【資料】

最初の2行の詞

Half of what I say is meaningless
But I say it just to reach you

レバノン出身の詩人・画家・彫刻家、
ハリール・ジブラーン(Kahlil Gibran)の
1923年に発表された詩集「The Prophet」から引用している

(真実のビートルズサウンド P.397)


最初の2行は他人の詩からの引用だ。
詩人、ハリール・ジブラーンの詩集「The Prophet」から引用している

 


【資料】

Half of what I say is meaningless
But I say it to so that the other half may reach you

「Sand And Foam」by Kahlil Gibran

(ビートルソングス研究読本 P.12)

 


ハリール・ジブラーンの詩集「The Prophet」に収録されている
「Sand And Foam」という詩

この部分をジョンはほぼそのまま引用している。
半分は意味がないけど「もう半分を」の言葉はカットしている。

 


【資料】

タイトルはジョンがわずか17歳のときに亡くなった母親の名前
彼が実名を挙げて彼女のことをうたったのは、
この曲がはじめてだった。

それはまた、ヨーコに宛てたラブ・ソングでもある。

ビートルズ・リリックス名作誕生 P.367)

 


曲のタイトルである「ジュリア」はジョンの母親の名前
ジョンが17歳の時に亡くなった。

ジョンは亡くなった母親の名前でラブ・ソングを書いた。
ジョンが母親の名前をあげた曲を作るのは初めてだ。

ただこの曲は母親へのラブ・ソングというだけではない。
オノ・ヨーコへのラブ・ソングという側面もある。

 


【年表】

1956年10月31日
メアリ・モーヒン(ポールの母)亡くなる(47歳)
ポール14歳

1957年7月6日
ウルトン教区教会でジョンとポールが出会う
ジョンはステージでBe-Bop-A-Lulaを歌う
ポールはジョンにTwenty Flight Rockを聞かせる

1958年7月15日
ジュリア交通事故で死亡
ジョン17歳

 


ポールはジョンと出会う1年前に母を亡くしていた。
ジョンはポールと出会った1年後に母を亡くした。

2人は母を亡くした寂しさをお互いで紛らわせた。
母を亡くすという共通した状況が2人を接近させる。

 


【資料】

自らを詩人と呼ぶ彼(ドノヴァン)にビートルズが作詞のアドヴァイスを
求めることもあった。

海岸で母親と手をつないで歩いているようなイメージで、
自分が体験できなかった母親と一緒の子供時代を曲にしたい。

こうドノヴァンに言ったジョンは、彼を童謡の王様と呼び
Juliaの歌詞に手を貸してくれと頼んだ。

ドノヴァンの考えたSeashell eyes、Windy smile(貝殻の瞳、風の微笑み)は
不思議の国のアリスにでてくる言葉のようで、ジョンはたいそう喜んだ。

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.74)

 


インドでビートルズとドノヴァンは一緒に修行をした。
インドでジョンはドノヴァンに歌詞のアドヴァイスを求めた。

この曲のジョンのイメージは子供の自分と母親だった。
ジョンは体験できなかった母親との体験を曲にしようとした。

だからこの曲の歌詞は子供であるジョンが母を慕う気持ちだ。
今のジョンではなく子供のジョンが母親を愛し求める気持ちを歌っている。

ジョンは曲のイメージをドノヴァンにそう説明した。
ドノヴァンはジョンのイメージに答えていくつかの言葉を提供した。

その言葉がSeashell eyes、Windy smileだった。
だからこの言葉はジョンの言葉ではなくドノヴァンの言葉だ。

ドノヴァンが考えたジョンの母親を表わす言葉だ。
オノ・ヨーコではなくジュリアを表わした言葉になる。

ジョンはジュリアに対して持っていたイメージに合っているので喜んだ。
ジョンにとってジュリアは貝殻の瞳、風の微笑み、なのだ。

人ではない俗世界にいない精霊のような聖者
神々しく光り輝いているあこがれの存在だ。