The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-264- 【Yer Blues】
【 Yer Blues 】 -8-
TVショー「ロックン・ロール・サーカス」でこの曲を演奏したことについて
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【資料】
Rock'n Roll サーカス
ローリング・ストーンズが68年に収録したTVショー「ロックン・ロール・サーカス」に
招かれたジョンは、エリック・クラプトン、キース・リチャーズらとこの曲を演奏している
バンドの名前は「ザ・ダーティ・マック」
またジョンは69年の「トロント・ロックン・ロール・リヴァイヴァル・コンサート」でも
エリック・クラプトンらを従えこの曲を演奏。
これは同コンサートで演奏された唯一のビートルズ・ナンバーだった。
(The Beatles Remastered CD Guide P.153)
:
1968年にローリング・ストーンズはTVショー「ロックン・ロール・サーカス」を作成した
ジョンはゲストとして招かれてこの曲を演奏した。
ジョンのバンドはエリック・クラプトン、キース・リチャーズが参加した。
ジョンの即席のバンド名は「ザ・ダーティ・マック」だった。
1969年にジョンは「トロント・ロックン・ロール・リヴァイヴァル・コンサート」にて
この曲を演奏した。唯一のビートルズ・ナンバーだった。
ジョンがビートルズ時代に行ったビートルズ以外のバンドでのライブ
2回ともこの曲が演奏されている。
ジョンにとっての自信作だった。
堂々と自分の曲だと公言できる自慢の曲だった。
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【資料】
ザ・ローリング・ストーンズ・ロックン・ロール・サーカス
1968年12月11日
ジョンはベースにキース・リチャード、リード・ギターにエリック・クラプトン
ドラムにミッチ・ミッチェルというメンバーを従え、自分はリズム・ギターを
弾きながらすさまじいライブを披露した。
曲はリリースされたばかりのアルバムの収録曲Yer Bluesだった。
(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.373)
:
録音は1968年12月11日だった。ジョンのバンドはベースがキース、
リード・ギターはエリック、ドラムはミッチ・ミッチェルだった
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【資料】
ジョンはヨーコとの共作アルバム「トゥー・ヴァージンズ」を発表したのに続いて
ヨーコと一緒に公の場で何かをやりたかったのだろう。
(ビートル・アローン P.56)
:
ジョンはオノ・ヨーコとのアルバムをリリースしていた。
ジョンはオノ・ヨーコとのパフォーマンスをしたかったのだろう。
「ロックン・ロール・サーカス」の映像でYer Bluesを演奏する
「ザ・ダーティ・マック」の傍でパフォーマンスをするオノ・ヨーコが映っている。
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【資料】
ジョンはその即席のスーパー・バンドをこう命名した。
The Dirty Macと。
MacとはMcCartneyすなわちポールのことだ。
Macには当時ブルース・バンドだったFleetwood MacとMcCartneyをおちょくろうとした
ジョンお得意のダブル・ミーニングも含まれていた。
(ビートル・アローン P.57)
:
ジョンはバンドをThe Dirty Macと名づけた。
Macとはポールのことだ
ジョンはポールのことをDirtyと呼んでいる。
このバンド演奏はTVショーとして放送される予定だった。
1968年12月の時点でジョンはポールへの怒りと不満を隠していない。
1968年8月にYer Bluesを狭い部屋で一緒にバンド演奏してから何があったのか。
Yer Bluesの時点でジョンとポールの仲は何も問題はないはずだ。
White Albumのセッション開始からYer Bluesまで2人の関係は良好だったはずだ。
それが4ヵ月後には公式の場でポールを罵っている。
あまりにも急激に変わっている。何かがあったはずだ。
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【資料】
テレビ特別番組「ロックン・ロール・サーカス」にゲスト出演した
ジョンを中心にその場限りのスーパー・バンドが編成される。
その後レノンとオノ・ヨーコはビートルズを離れて音楽活動をするときにセッションの
たびにメンバーが替わるプラスティック・オノ・バンドを名乗るようになった。
(ロック・クロニクル1952-2002 現代史のなかのロックン・ロール P.205)
:
「ロックン・ロール・サーカス」で演奏したときは「The Dirty Mac」だった。
その後は「プラスティック・オノ・バンド」を名乗った。
ジョンはパートナーの名前をバンド名にした。
最初はポール、その後はオノ・ヨーコの名前だった。