The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-402- 【Why Don't We Do It In The Road】
【 Why Don't We Do It In The Road 】 -2-
実質的にポール1人の多重録音
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【資料】
1968年10月9日
第1回録音
ベーシック・トラックを手早く録った
10月10日にオーバー・ダブするリンゴのドラム・トラックを
別にすれば、これもマッカートニーが4トラック・マシンを使って
行ったソロ・レコーディング
(The Complete Beatles Recording Sessions P.200)
:
この日にポール1人でベーシック・トラックを録った。
ジョンもジョージも参加していない。
2日目にリンゴだけが参加してドラムスをオーバー・ダブした。
実質的にポール1人の多重録音、ソロ・レコーディングだ。
録音機材も4トラック・マシンを使っている。
オーバー・ダビングも極力少なくするつもりだったのだろう。
この録音にはジョージ・マーティンも参加していない。
ポールはこの曲にはジョージ・マーティンも不要だった。
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【年表】
1968年10月8日
I'm So Tired
第1回録音
The Continuing Story Of Bungalow Bill
第1回録音
1968年10月9日
Why Don't We Do It In The Road
第1回録音
:
前日の録音曲はI'm So TiredとThe Continuing Story Of Bungalow Bill。
バンド演奏の曲とジョン & ヨーコの曲だった。
White Albumのセッションでジョンには2種類の曲があった。
バンド演奏のロックン・ロールとジョン & ヨーコの曲だ。
ジョンは10月3日~7日セッションに参加していない。
前日の10月8日からセッションに復帰している。
だからこの日10月9日にジョンと一緒に録音しようと思えばできた。
ポールはジョンに黙ってこの曲を1人で演奏するのを選んだ。
ポールは1人で演奏したかったのだ。
2日目のリンゴによるドラムスのオーバー・ダブも本当はいらなかった。
ポールは1人で多重録音で弾き語りでこの曲をしたかったのだ。
リンゴを参加させたのはリンゴと約束したから守ったにすぎない。
ポールは弾き語りのロックン・ロールというものを発見し夢中になっていた。
それはこの曲に限らずWhite Albumのセッションの最初からそうだ。
この曲は他のアルバムであれば当然バンド演奏用の曲だ。
バンド演奏が映える。White Albumでなければ当然バンド演奏になっていた。
1人多重録音に向いた曲ではない。
でもこの曲はポール1人の多重録音になった。
ポールはバンド演奏ではなく1人多重録音に夢中だ。
ポールはソロ・アルバム「McCartney」の音を見つけ出したのだ。
ポール1人による弾き語りのロックン・ロール
ポールが生み出したロックの新しいジャンル。
ポールはソロはバンド演奏と1人多重録音の両輪で成立している。
片輪の1人多重録音をポールが見出したのはWhite Albumのセッションだ。
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【資料】
リード・ボーカルとアコースティック・ギターを5テイク録音し
第5テイクにピアノ・トラックをオーバー・ダブ。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.200)
:
ギターの弾き語りで5テイク録音した。
第5テイクをベストとしてピアノをオーバー・ダブ
○
【資料】
アコースティック・ヴァージョンである2分40秒と長い第4テイクが
CD版 Anthology3で聞ける。
(Complete Beatles Audio Guide P.124)
:
第4テイクがCD版 Anthology3、1-26曲目で聞ける。
ギターの弾き語りのアコースティック・ヴァージョンだ。