Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 265- 【Yer Blues】

「Live Peace In Toronto 1969」



【 Yer Blues 】 -9-

 


トロント・ロックンロール・リヴァイヴァルでの演奏について

 


【資料】

1969年9月13日

ロックンロール・リヴァイヴァル・コンサート

プラスティック・オノ・バンドのデヴュー・コンサートとなった
この日のステージは懐かしきビートルズの日々は終わったという
暗黙の事実を具体的に証明するできごとになった

(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.407)

 


Yer Bluesの録音から1年後の1969年9月13日
ジョンはプラスティック・オノ・バンドを率いてコンサートで演奏した。

この日がプラスティック・オノ・バンドのデビュー・コンサートだった。
ジョンがビートルズでないバンドで歌っている。

ジョンは新しいバンドの中にいた
世間はビートルズが終わったことを知った。

 


【資料】

トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル(1969年9月半ば)で
レノンが演奏した唯一のビートルズ・ナンバー

1968年12月11日に撮影されておクラ入りしたローリング・ストーンズ
「Rock'n Roll Circus」の中で演奏された

(ビートルソングス P.143)

 


このコンサートでジョンはこの曲を演奏した。
ジョンはビートルズの曲の中で唯一この曲を選んだ。

プラスティック・オノ・バンドのスタートにふさわしい曲だったのだろう。
ジョンがイメージしていた最新のジョンのRock'n RollとはYer Bluesだった。

 


【資料】

アルバム「Live Peace In Toronto 1969」 (平和の祈りをこめて)

プラスティック・オノ・バンド

出演を決めるとすぐジョンはエリック・クラプトン、クラウス・フォアマン
セッション・ドラマーのアラン・ホワイトのスケジュールと機材を押さえさせ
飛行機のなかで曲目を決めることにした

ザ・ビートルズ・マテリアル vol.2 ジョン・レノン P.20)

 


ジョンはこのコンサートを録音していた。
すぐにアルバムとしてリリースした。

自分はもうビートルズではない。
今はこういう音をだしているんだと世間に表明した。

このコンサートはジョンの納得できるものだった。
だからリリースした。

バンドのメンバーはエリックとクラウス・フォアマンとアラン・ホワイトだった。
リハーサルもなかった。飛行機の中で曲目を決めた。

 


【資料】

ジョンは69年にプラスティック・オノ・バンドのメンバーとして
クラプトンを引き入れる。

ロックン・ロール・サーカスへの出演はビートルズとヨーコの狭間で
宙ぶらりんだったジョンがビートルズを離れる決意をし、ビートルズとは
発想も形態も異なる新たなバンド結成へと向かう大きなきっかけになった

(ビートル・アローン P.59)

 


ジョンはエリック・クラプトンがお気に入りだ。
知り合ったのはWhile My Guitar Gently Weepsでの共演だ。

ロックン・ロール・サーカスでも翌年のトロント・ロックンロール
・リヴァイヴァルでもバンドのメンバーにしている。

ロックン・ロール・サーカスへの出演はジョンにとって大きい決断だっただろう
ビートルズではないバンドで初めて演奏する

横にポールがいない。10代からずっと一緒だったポールがいない。
ポールは全力で支えてくれていた。

ジョンはロックン・ロール・サーカスへの出演で自信を得たのだろう。
自分のバンドを作りWhite Albumのようなロックをすることがコンセプトだ。