The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-214- 【While My Guitar Gently Weeps】
【 While My Guitar Gently Weeps 】 -12-
この曲の評価はどうなのか
○
【資料】
特筆すべきはジョージの作品で一時インドの音楽に
かぶれていたその名残は随所できかれるものの
もはやすっかりヒット・ソングメーカーとして生まれ変わっている
(ビートルズ現役時代)
:
この資料はロック雑誌「Music Life」の記事
1968年White Albumがリリースされた直後の記事だ。
インドの音楽にかぶれていた、というのはWithin You Without You
The Inner Lightを指すのだろう。
White Albumの特筆すべきこととしてジョージの作品がよくなっているとしている。
その中でもこの曲を筆頭としてあげている。
○
【資料】
White Album中、一、二を争う人気だ。
ジョージによる傑作
(レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.80)
:
White Albumでの最高の人気を持つ。
傑作
○
【資料】
日本ではOb-La-Di,Ob-La-Daとカップリングでシングル発売されたため
日本ではとくに人気の高いビートルズ・ナンバーとなった
(The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.33)
:
日本ではシングルになった。人気が高かった
英米ではWhite Albumからのシングル・カットはなかった。
このシングルの発売は1969年3月10日なのでWhite Albumの発売から4ヵ月後
日本で人気があったのでシングル発売したのだろう。
Ob-La-Di,Ob-La-DaがA面、この曲がB面だった。
Ob-La-Di,Ob-La-Daの人気には負けたということなのだろう。
○
【インタビュー】
1987年
ある意味でぼくがライブでやったヴァージョンの方がいいね。
つまりビートルズ時代はぼくは自分の歌い方がちっとも好きじゃなかった
うまく歌うことができなかったんだ。
ぼくはいつもすごく被害妄想的で歌い方を萎縮させてた
(ビートルソングス P.138)
:
ジョージは自分のボーカルが気に入ってなかった。
ビートルズ時代はうまく歌えなかった。
被害妄想的というのは自分には無理うまく歌えないと思っていたということなのだろうジョージの上にはジョンとポールがいた。その存在がジョージの歌を萎縮させた。
それはジョンとポールと較べて二人よりも劣っていると思っていたのだろう。
自分の立場が弱いと感じていて気持ち的にも萎縮していたのだろう。