The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-152- 【Cry Baby Cry】
【 Cry Baby Cry 】 -12-
ジェフ・エメリックがエンジニアになってから辞めるまでの経緯について
○
【年表】
1968年7月15日
Revolution
Ob-La-Di,Ob-La-Da
完成
Cry Baby Cry
録音初日
リハーサル
1968年7月16日
Cry Baby Cry
録音2日目
ジェフ・エメリックが仕事をやめた。
:
7月15日にRevolutionとOb-La-Di,Ob-La-Daを完成させた。
この2曲はこの時点でシングルのA面B面である。
同夜、調子のよかったジョンはCry Baby Cryの録音を開始した。
その翌日ジェフ・エメリックが仕事をやめる。
ジェフは長らくビートルズのセッション現場にいた。
彼はその後White Albumの録音に参加しない。
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【資料】
(Cry Baby Cryのセッションの時)
スタジオの雰囲気はよくなかったのでジェフ・エメリックは
このセッションの後立ち去った。
ジェフ・エメリックは1966年4月からほとんどのビートルズの
セッションでエンジニアをしていた。
1969年7月まで戻らなかった。
(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.189)
:
ジェフ・エメリックは1966年4月からビートルズのエンジニアをしていた。
White Albumの現場を去るまでの2年間、彼はビートルズのエンジニアだった。
○
【資料】
エンジニアはRevolverの頃にノーマン・スミスからジェフ・エメリックに
代わっています。
(レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.63)
:
Revolverの頃というのが1966年4月ということだろう。
この頃にノーマン・スミスからジェフ・エメリックに交代している。
○
【資料】
ポールのBlackbirdはジェフ、ジョンのJuliaはケン・スコットです
(レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.63)
:
White Albumのアルバムでジェフ・エメリックは中心となるスタッフだった。
Blackbirdの音を担当したのはジェフ・エメリックである。
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【資料】
ジェフが抜けるきっかけになった曲「Ob-La-Di,Ob-La-Da」の
スネアの音などはジェフらしい
(レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.65)
:
ジェフ・エメリックは彼らしい個性のある音を作っていたのだろう。
Ob-La-Di,Ob-La-Daのスネアの音は彼らしい音だとしている。
なぜこんなに有能なスタッフであったジェフが辞めるのか。
辞めざるをえないほどの理由が録音現場にあったということなのだろう。