The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-127- 【Revolution】
【 Revolution 】 -6-
ジョンのディストーション・ギターはどこから来たのか
○
【資料】
ジョンが影響を受けたグループのひとつとしてザ・フーの
名前をあげた。
(怪傑ビートルズの伝説 P.69)
:
ザ・フーからの影響をあげている。
ジョンのディストーション・ギターはザ・フーからの影響だろう。
ザ・フーのギタリストであるピート・タウンゼントはリンク・レイに影響を受けたと
言っているのでジョンのディストーションの元祖はリンク・レイだろう。
○
【資料】
ラウドさに磨きをかけたザ・フー、
ハード・ロックの礎を築いたクリーム、
鮮烈なデビューを飾ったジミ・ヘンドリックスらにより
Rock'n Rollが過激な変化を遂げていた頃だ。
負けず嫌いのジョンは彼らを強く意識し
誰よりもダーティーなサウンドのレコードを作りたいと考えていた。
(大人のロック ザ・ビートルズ サウンド革命の全貌 P.83)
:
ジョンはザ・フーとジミ・ヘンドリックスを意識していた。
ラウドでダーティなサウンドを作ると見ていたのだろう。
ジョンも負けてはいない。もともとビートルズはラウドでダーティな
サウンドを作るロック・バンドだとの自負があるのだろう。
○
【インタビュー】
ジョン
I Feel Fine
エレクトリック・ギターのリフもそれからレコードで初めて使われた
フィード・バックもどちらもぼくのアイディアだ。
フィード・バックをあんなふうに使ったレコードがそれ以前にあったと
言われてもぼくは認めない。
ヘンドリックスよりもザ・フーよりも誰よりも早かった。
(プレイ・ボーイ・インタビュー 1980完全版 P.304)
:
ジョンはジミ・ヘンドリックスとザ・フーをライバル視している。
負けたくないと思っている。
○
【資料】
「I Am The Walrus」
ボーカルにディストーションをかけてみたところ
ジョンはいたく気に入り以後はどんな音にもディストーションを
かけたがるようになった。
(大人のロック ザ・ビートルズ サウンド革命の全貌 P.83)
:
最初にディストーションを具体的にかけたのはI Am The Walrusだった。
それからディストーションを使用するようになった。
○
【資料】
「Revolution 1」
ジョンはこのときもギターにディストーションを効かせる気満々で
臨み他の楽器への干渉も考えずに自分のギターのボリュームを際限なく上げていった。
ジェフ・エメリックはプリアンプをオーバー・ロードさせ強いディストーションを
効かせた。
(大人のロック ザ・ビートルズ サウンド革命の全貌 P.84)
:
ジョンはディストーションをRevolution 1のギターにかけた。
RevolutionからではなくRevolution 1からすでにギターにディストーションをかけていた
○
【資料】
「Ob-La-Di,Ob-La-Da」
作業途中でミスによりコンソール内でオーバー・ロードしたアコースティック・ギターの
音がポールの今のいいねという一言でOKテイクにも採用された。
昔のブルースで聞けるようなローファイでダーティーなサウンドを好んでいた。
意図的にレベルを最大に上げてアコースティック・ギターを録音。
(大人のロック ザ・ビートルズ サウンド革命の全貌 P.84)
:
Revolutionの録音の直前に録音したOb-La-Di,Ob-La-Daの録音で
アコースティック・ギターにディストーションがかかった。
それは偶然のミスでコンソール内でオーバー・ロードしたものだった。
ジョンはこの時のことを覚えていた。
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【資料】
「Revolution」
ジェフ・エメリックがプリアンプを2台連結して思い切り歪ませた音を
直接コンソールに入力した
(大人のロック ザ・ビートルズ サウンド革命の全貌 P.84)
:
ジョンはジェフ・エメリックに要求したのだろう。
ジェフ・エメリックはプリアンプを使用してディストーションを作った。
この録音は当然EMIの規定では禁じられていただろう。
ジェフ・エメリックは規定を破ってジョンの要求通りに音を作った。
ジェフ・エメリックは会社から責められなかったのだろうか。
ジェフ・エメリックのストレスにはならなかったのだろうか。
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【年表】
1968年7月10日
Revolution録音
1回目
1968年7月16日
ジェフ・エメリックが仕事をやめた。
:
録音が開始されてから6日目にジェフ・エメリックが仕事をやめた。
ディストーションでの規定違反は仕事をやめた理由ではなかったのだろうか。