The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-126- 【Revolution】
【 Revolution 】 -5-
RevolutionはなぜB面になったのか。
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【資料】
Revolutionはモノ・ステレオLPには収録されずあくまでもモノ・シングル用だったので
ステレオ・ミックスは1969年12月5日まで作成されなかった
(The Complete Beatles Recording Sessions P.177)
:
Revolutionはシングル用に、Revolution 1をリメイクして作成された。
シングルはモノラルのみだから、この曲はモノラル・ヴァージョンしか作成されていない
○
【インタビュー】
ジョージ・マーティン
初めてディストーションを使った。
ジョージ・ハリスン
曲そのものよりこれを作った姿勢が重要。
あのノイズが特に嫌い。
この曲が重要視される要因があるとすれば
実際に歌われている内容だけだ。
(書籍 The Beatles Anthology P.298)
:
ジョージ・ハリスンはディストーションが嫌いだった。
そしてディストーションをふんだんに使った「Revolution」が嫌いだった。
ジョージが嫌いだったら合議制で決められるシングル化は難しい。
ジョージがRevolution 9の録音に参加したのはなんだったのだろうか。
ジョンの混沌と叛乱のコンセプトに共感していたのではなかったのか。
Revolution 9の録音に参加したのはジョージにとって単なる音を使った遊びだったのか。
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【資料】
ディストーションをかけた2台のリード・ギターだろう。
あれがジョンの求めるサウンドだった。あのディストーションだ。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.175)
:
ジョンの追い求めたサウンドとジョージのサウンド嗜好がずれてきている。
ジョンはディストーションのギターを至高のものとした。
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【資料】
ピート・ショットン
(Revolution 1は)ポールは根っからのノンポリだからビートルズが
そんな重いテーマに手を出すのは気が進まなかったと思う
(この日のビートルズ P.233)
:
ポールはテーマが気に入らなかった。
透明よりも混沌を好むこと。叛乱に価値を置くこと。
時代精神と共鳴するジョンの革命思想、反体制思想が
ポールには受け入れられない。
ポールは混沌と叛乱のコンセプトが気に入らなかった。
少なくともシングルにすべきではないと考えていた。
ジョージが嫌い、ポールがシングルにふさわしくないと考えていた以上
合議制のビートルズではシングル化はありえなかった。
ジョンのリーダーとしての発言権は大きいものであっただろうから
その妥協点がシングルB面ということだったのだろう。
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【インタビュー】
ジョン
かわりに「Hey Jude」
これは値打ちのある歌です。
(ビートルズ革命 P.193)
:
そこにポールがHey Judeを持ってきた。素晴らしい作品だった。
誰もが納得した。ジョンも価値を認めた。
合議制の結果、Hey JudeはシングルA面になった。
RevolutionはシングルB面に追いやられた。
RevolutionをB面にすることでビートルズは道を選択した。
ヒット曲を量産する名実ともにNo.1のロック・バンド、現状維持、体制側の道だった。
50年代にグループを結成した時、ビートルズはRock'n Rollバンドだった。
社会への反抗を内包していた。Rock'n Rollの本質である反体制側だった。
エプスタインが社会に受け入れられるようにと提案したスーツを着用した。
ビートルズはスーツを受け入れることで、60年代の自らの進むべき道を選択した
大ヒットを連発し賞賛されテレビでも放送され各家庭に届けられる。
大ヒットと常識ある大人からの賞賛、シナトラへの道だった。
ジョンが精神的にダメになったのはスーツが原因でもある。
ジョンの心を痛めつけたドラッグとジョンを捨てた母ジュリアだけではなく。
RevolutionがB面になったあとジョンがずっとビートルズを続けていたら
常識派のビートルズの中でジョンは再起不能になっていたのだろう。
ジョンは、この時はスーツを着ることを拒否した。
ジョン & ヨーコ、革命、反ビートルズはジョンの生存への闘争の手段だ。