The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 241- 【Hey Jude】
【 Hey Jude 】 -24-
シングルA面になった経緯について
○
【年表】
1968年8月8日
Hey Jude
モノ・ミキシング
1968年8月30日
シングル
Hey Jude / Revolution
:
録音された後、8月8日にモノ・ミックスが作成された。
シングルのみの予定だったのでステレオ・ミックスは作られない。
22日後の30日にはシングル発売された。
とても速い。
世界中が混沌と叛乱に満ちていたこの年の8月に
RevolutionはB面としてだったが、ギリギリ間に合った。
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【資料】
当初はRevolutionがA面、Hey JudeがB面の予定だった。
しかしこの予定は逆になった。レノンはしぶしぶながら自分の曲をB面に
追いやることを承知した。
(ビートルソングス P.122)
:
もともとシングルはRevolutionとOb-La-Di,Ob-La-Daだった。
この2曲であれば間違いなくA面はRevolutionだろう。
そういう意味でRevolutionがA面、Hey JudeがB面だったのだと思う。
RevolutionはHey JudeにA面争いで負けた。
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【資料】
1968年8月1日
ジョンとポールはシングルA面を誰の曲にするかについて激しい口論をした。
しかし結局ポールが勝ってHey Judeがリリースされるシングルとなった
(ビートルズ・ダイアリー P.255)
:
ジョンは激しく主張しただろう。RevolutionはA面に決まっていたし
ジョン自身もB面になるとは夢にも思わなかっただろう。
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【資料】
私はシングル盤でだしたかったのですがシングル盤に
するほどの出来ではない、と言われた
かわりにHey Judeです。
これは値打ちのある歌です。
(ビートルズ革命 P.191)
:
どの曲をシングルA面にするのかは合議制だった。
Revolutionは敗れた。
ポールはもちろんのことジョージもHey Judeを推した。
そしてまたジョンもHey Judeの価値を認めていた。
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【資料】
エンジニアたちは大きな音にする必要のない部分を圧縮して細い溝を刻むという
方法でまたも常識を破り45回転シングルに7分以上ある曲を収めることに成功した
:
7分以上ある曲をシングル盤におさめるのは技術的に難しかった。
優秀なEMIの技術者は工夫しておさめた。
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【資料】
それまで7分を越す曲で1位になったシングルはなかった。
(ビートルズ百科全書 P.338)
:
7分を超す曲の1位は初めてだった。
Hey Judeはこの点でも画期的だった。
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【資料】
1968年を代表するもう一つのヒット曲リチャード・ハリスの
「マッカーサー・パーク」よりは短かった。
(ビートルズ全曲解説(ジョン・ロバートソン) P.197)