The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-125- 【Revolution】
【 Revolution 】 -4-
メンバーはどのようにジョンを説得したのか
○
【資料】
ビートルズのメンバーは全員次のシングルはRevolutionで
よしとしていた。
ジョンはRevolution 1で満足していたが他のメンバーはラジオでは
ライブ感に欠けるとジョンを説得した。
もしかしたらEsher Demos(イーシャー・デモ)ヴァージョンをもっとアップテンポに
したものにしたかったのかもしれない
(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.186)
:
ビートルズのメンバーは全員シングルは「Revolution」としていた。
ジョン自身が自信にあふれて作成し没頭した作品であり強く推していた。
ここでわかるのはビートルズのシングルの決定は単独ではなく
メンバー全員が話し合いで決定していたということだ
そうでなければRevolution(Revolution 1とRevolution 9)が落ちるわけがない
ジョンのシングル化への思い入れは近年になく強かったはずだ。
メンバーはラジオで流れる時のライブ感が足りないと説得した。
ヒット性がないということだろう。
ビートルズのメンバーは話し合ってシングルA面、B面を決定していた。
それは多数決のようなものだったのだろう。
○
【資料】
厳密にはRevolution 1のリメイクだ
1980年の死の直前にこの曲をリメイクした理由を説明している。
ポールとジョージがRevolution 1はとっつきにくい曲だから
ビートルズのニュー・シングルにするべきでないと主張した。
そこでジョンは基本姿勢は変えずに歌詞もそのままでもっと
テンポの速いラウドなヴァージョンを録ることにした
(The Complete Beatles Recording Sessions P.175)
:
ポールとジョージの二人がRevolution 1のシングル化に反対した。
同時にB面のRevolution 9のシングル化にも反対しただろう。
とっつきにくいという点ではRevolution 9に勝るものはない。
Revolution 9をシングルにしたくないから、という理由もあっただろう。
合議制だから二人に反対されたらシングルにはできない。
ジョンはやむなくリメイクをすることにした。
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【インタビュー】
プレイ・ボーイ・インタビュー 1980年9月
ジョン
「僕はスローバージョン(Revolution 1)をヴェトナムや革命に対する
ビートルズの立場の表明としてシングルとして発表したかった」
「それをポールとジョージがテンポが遅すぎると反対した」
(ビートルソングス P.124)
:
ジョンは革命に対するビートルズの立場を表明したかった。
時期として、この時ちょうどよかった。タイミングは最適だった。
しかし、メンバーの支持を得られなかった。
素晴らしい内容であったのに支持されなかった、そこにこの曲の悲劇がある。
それは同時にジョンにとっての悲劇でありビートルズの悲劇だった。
Revolutionが支持されなかった後、ジョンのセッションへの姿勢は変わったのだろうか
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【インタビュー】
ジョン
ゴールドのレコードになろうが木のレコードになろうが
そんなことは気にせず
わかりやすいスローなバージョンの「レボリューション」(Revolution 1)
をシングルとして出す余裕があったはず
彼らはそういうことに腹を立てていたから計画がつぶされてしまった
(書籍 The Beatles Anthology P.298)
:
ジョンはわかっている。
レコードの販売枚数やヒットチャートよりも重要な価値観が生まれたということを。
「Revolution 1」はまさに売れるための曲ではなく他の重要な価値観に
則った曲であることを。
そのためには売れるためのサウンドではなく、この曲では
「わかりやすく」伝えることが重要だと考えた。
ジョンは初めての政治的立場の表明をわかりやすく伝えたかった。
でも「Revolution 1」は「彼ら」に「つぶされた」。
ジョンは生き生きとした自由で創造性に富んだ自分をつぶされた様に感じた。
俺はビートルズでは自由になれない、とジョンは感じただろう。