Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-219- 【Hey Jude】

Paul McCartney, Cavendish Avenue house



【 Hey Jude 】 -2-

 


ポールはこの曲をいつ誰と完成させたのか

 


【資料】

7月26日のセッションは取りやめになった。Hey Judeにジョンとポールが
仕上げを施している最中だったからだ。

この名曲のための最初のセッションは従って7月29日まで延期された。

(The Complete Beatles Recording Sessions P.180)

 


7月26日にジョンとポールはこの曲の仕上げをした。
7月26日に完成させている。

ジョンとポールは協力してこの曲を作った。
ジョンとポールの協力関係は揺らいではいない。

 


【資料】

1968年7月26日

ジョンとポールはロンドンのポールの家でHey Judeを書き上げる

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.147)

 


ジョンとポールはロンドンのポールの家でこの曲を書き上げた。
二人だけで完成させた。

ロンドンのポールの家というのはアビー・ロード・スタジオの近くにある
当時ポールが住んでいた家。Cavendish Avenue houseだ。

1ヶ月ほど前の6月中旬にジョンとオノ・ヨーコ、ポールとフランシーの4人は
この家で短期間だったが同居していた。

 


【資料】

この曲はアルバム「ザ・ビートルズ」収録用ではなく、3月以来となる
ニュー・シングルのために書かれたものだ。

(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.354)

 


White Albumに収録するアルバム用の曲ではなかった。
最初からシングル用の曲として書かれた。

この時シングル用の曲はすでに録音されていた。
ジョンの曲はRevolution、ポールの曲はOb-La-Di,Ob-La-Daだ。

ポールはその曲を上回るシングル向きの素晴らしい曲だと考えたのだろう。
Ob-La-Di,Ob-La-Daに代わるポールのシングル曲として録音した。

 


【資料】

7月26日にはセッションがなかった。
その日は、ジョンがポールの自宅に行ってHey Judeの仕上げを手伝っていた

(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.354)

 


この曲は最初からシングル候補だった。
ジョンは自分の曲Revolutionのライバル曲となるとわかっていて手伝っている。

ジョンは、この曲はRevolutionをB面に追いやるかもしれないとわかっている。
二人の協力関係は個人の利害関係を超越したものだ。

いい曲を作成するためには最大限の努力をし協力を惜しまない。
それはポールも同じで不仲でもジョージの曲に最大の貢献をする。

ビートルズのメンバー全員がそうであっただろう。
ただジョージにはジョンとポールが自分の曲をとりあげてくれないという不満はある。