The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-136- 【Revolution】
【 Revolution 】 -15-
2回目の録音から完成までの経過
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【資料】
1968年7月11日
Revolution録音
2回目
オーバー・ダブ
エレクトリック・ピアノとベース・ギター
ピアノを弾いたのはニッキー・ホプキンス
(The Complete Beatles Recording Sessions P.176)
:
ベースはポール。ベースはオーバー・ダビングだった。
ポールはおそらく初日の7月10日はセッションに参加していない。
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【年表】
1968年7月10日
ポール、ジェーン・アッシャーの劇を鑑賞
(怪傑ビートルズの伝説 P.250)
1968年7月20日
ポール、ジェーン・アッシャーと婚約破棄
BBCのテレビ番組「DeeTime」でジェーン・アッシャーが発表
:
ポールは婚約者のジェーン・アッシャーの劇を見に行っていた。
おそらくこの日でないといけなかったのだろう。
Revolutionのリズム・トラックの録音よりも優先された。
ポールにとって何か尋常ではない理由があるのだろう。
劇を見に行っていたくらいだからポールとジェーンはまだ破局していなかったはずだ。
ポールとジェーンは7月20日にジェーンがTVで婚約破棄を発表するという形で破局する
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【年表】
1968年7月9日
Ob-La-Di,Ob-La-Da
録音5日目
Revolution
リハーサル
1968年7月10日
Revolution
録音1日目
ポール、ジェーン・アッシャーの劇を鑑賞
(怪傑ビートルズの伝説 P.250)
1968年7月11日
Ob-La-Di,Ob-La-Da
録音6日目
:
7月10日はOb-La-Di,Ob-La-Daの録音もしていない。
その前後の日はOb-La-Di,Ob-La-Daを録音している。
ポールは7月10日はスタジオに行っていない。
ジェーンのために一日休んだ。
そのため7月10日のリズム・トラックの録音には参加できず
翌日の7月11日にベースをオーバー・ダビングした。
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【資料】
1968年7月12日
Revolution録音
3回目
完成
夜中の12時から録音を始める
最終オーバー・ダブでジョンが4トラック・テープのトラック1にリード・ギターを
ポールがトラック4にベースをスーパー・インポーズした
金曜日(7月12日)のセッションのあと、ジョンとポールは
「Ob-La-Di,Ob-La-Da」及び「Revolution」のベスト・モノ・リミックスのコピーを
自宅へ持ち帰った。
週末にそれを聞いてゆっくり考えた彼らはこれら2曲にもう少し手を加えることに決める
(The Complete Beatles Recording Sessions P.177)
:
この時点でシングル候補だった2曲が完成する。
ジョンとポールはそれぞれのシングル曲を家に持ち帰って週末にゆっくりと聴いた。
ジョンのRevolution 1とRevolution 9のシングルの構想は完全になくなっていた。
Revolution 9はこの時点でシングルから排除された。
シングルはRevolutionとRevolution 9のカップリングではなく
RevolutionとOb-La-Di,Ob-La-Daのカップリングになった。
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【資料】
1968年7月15日
Revolution モノ・ミキシング
完成
リミックスを若干変えるだけですんだ
(The Complete Beatles Recording Sessions P.177)
:
7月15日に完成した。
シングルだからモノ・ミキシングのみが作成された。