Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-218- 【Hey Jude】

 

【 Hey Jude 】 -1-

 


今の感想

 


このセッションでの録音13曲目。
ポールの曲

この曲ができるまでジョンの曲「Revolution」はシングルA面予定だった。
ジョンにとっては最も重要な曲だった。

ジョンは「Revolution」に夢中だった。
ジョンはその時流行っていた革命に対して自分の姿勢を表明したかった。

リリースのタイミング的にも申し分なかった。
時代が激動していた。そのピークがここ8月だった。

8月のシカゴ暴動直後にローリング・ストーンズ
「ストリート・ファイティング・マン」リリース。放送禁止

初回プレス版は回収された。
ジャケットにはロサンジェルスでの暴動の写真が使われていたためだった。

時代はロック界のトップ、ビートルズの発言を待っていた。
絶好のタイミングだった。ジョンは時代の中心になるはずだった。

そこにHey Judeが完成した。シングルA面になった。
ジョンの重要作「Revolution」はB面に追いやられた。

Revolutionはビートルズの後ろ盾を失い、ジョンは孤立無援となった。
Hey JudeはRevolutionの社会的生命を奪った。

ジョンはシングルB面になったことでビートルズは自分の自由にならない。
ビートルズは思いどおりにならないことを知る。

この後。
ジョンには選択肢があった。

1)反ビートルズとしてビートルズであり続ける。
2)もう一度ビートルズの中心になる。
3)ビートルズをやめる。

1)をしばらく短期間だけど続けてそして3)へと行った。
ここまでは「混沌と叛乱」といっても、スタッフと会社への叛乱だった。

それまでのビートルズを含めての体制への叛乱だった。
それがビートルズ自体への叛乱となっていくのか。

そうであれば、自分の自信作であり最重要作がA面を外されたことをきっかけに
ジョンはどのような反ビートルズの存在になっていくのか。

2)は見られない。
結局ジョンはWhite Album以降ビートルズの中心には返り咲かなかった。

White Albumのジョンが素晴らしいだけに残念。
次のビートルズが進むべき道をジョンはWhite Albumで示していたと思う。

「Let It Be」「Abbey Road」ではビートルズのリーダーとしてバンドを率いて
新しい音を目指そうとする姿勢と意欲がジョンに見られない。

Hey JudeはRevolutionの生命を絶っただけではなく
ジョンのビートルズでの居場所も奪ったのだろうか。