Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-215- 【While My Guitar Gently Weeps】

George Harrison with Eric Clapton - LIVE IN JAPAN 1991



【 While My Guitar Gently Weeps 】 -13-

 


ジョージは何が不満だったのか

 


【資料】

1991年12月1日

来日公演の初日

ジョージとエリック・クラプトン・バンドの一行

アンコールはWhile My Guitar Gently Weeps

忘れられないのは初日のほうだ。

何とか演奏に乗っていこうとするジョージにジョンやポールに
怒られ続けた「弟分」の顔が垣間見えたからである。

そういうときに生まれるカタルシスこそが、ジョージ・ハリスンという人を
その音楽を決めている

ザ・ビートルズ・マテリアル vol.4 P.69)

 


1991年12月1日の日本公演の初日のアンコールで
ジョージはWhile My Guitar Gently Weepsを演奏して歌った。

ギターはエリックだった。
CD「Live In Japan」の2-8曲目で聞ける。

前述のジョージのインタビューよりも後のライブだから参考程度だが
ジョンとポールから自由になって萎縮していないジョージの歌声を聞ける。

ジョージがビートルズ時代よりも気に入っていたボーカルだ。
エリックのリード・ギターを従えてこの曲をやり直している。

「ジョンやポールに怒られ続けた「弟分」」
これがジョージのビートルズ時代の本質であり立ち位置だろう。

弟分から自由になりたい。
その意識が芽生えたのがWhite Albumの時なのだろう。

ジョンはEMIの会社とジョージ・マーティン、スタッフへの叛乱だったが
ジョンに影響されたジョージにとっては、ジョンとポールへの叛乱だった。

 


【資料】

1977年に受けたアメリカの雑誌「クロウダディ」のインタビューの中で
ジョージはビートルズのおかげでなかなか前に進めなかったと不満を述べている。

二人は自分たちに優先権があると思っていたんだ。
だからぼくはあの二人の曲を10曲やってからじゃないと自分の曲を聴いてもらう
ことすらできなかった。

While My Guitar Gently Weepsみたいな曲をやったときもぼくらはひと晩で
レコーディングをすませてほとんどやる気が感じられなかった。

だからひどく落胆して家に帰ったんだ。
いい曲なのはわかっていたから

ビートルズ・リリックス名作誕生 P.432)

 


ジョージは自分の曲をなかなかセッションで取り上げてくれないことに不満があった。
ジョンとポールは自分達の曲を優先させる権利があると思っていた。

ジョージの曲をとりあげてもらった時も二人にやる気はみられなかった。
ジョージの曲だから重要視されてないとジョージは感じた。

ジョージは自分の曲が軽く見られていることに不満があった。
また、ジョンとポールにジョージ自身が軽く見られていると感じていた。

ジョージはジョンに影響されて録音現場でマーティンと口論したが
ジョンとポールに対しても自分の立場が低いことに不満を持っていた。