Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-180- 【Sexy Sadie】

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Maharishi Mahesh Yogi



【 Sexy Sadie 】 -2-

 


ビートルズがSexy Sadie(マハリシ)と最初に出会ったのはいつなのか

 


【インタビュー】

ジョン

マハリシからインスピレーションを得た。
ぼくらが荷造りを終えてまさに出て行こうとしているときに書いた。
インドを離れる前に作った最後の曲だ。

(プレイ・ボーイ・インタビュー1980 完全版 P.332)

 


Sexy Sadieはマハリシ・マヘシュ・ヨギのことだ
インドで作った最後の曲だ

 


【資料】

1967年8月24日
ジョンとシンシア、ポールとジェーン、ジョージとパティは
ロンドン・ヒルトン・ホテルで開かれたインド人の導師マハリシ・マヘシュ・ヨギ
の講義に出掛け彼に魅了されてしまう。

翌日予定されていたスタジオ・セッションをキャンセルしたビートルズ
その妻たち、ミック・ジャガー、マリアンヌ・フェイスフルらはマハリシ
セミナーに参加するためにウェールズ北部のバンゴアへ向かった。

ビートルズ 20世紀文化としてのロック P.215)

 


ビートルズマハリシと最初に会ったのは1967年8月だった。
ビートルズが妻、仲間と共にインドでのマハリシの瞑想キャンプに参加する6ヶ月前だ。

彼らはロンドンのホテルで開かれたマハリシの講義を受ける。
メンバーのうちリンゴを除いた3人が妻同伴ででかけて講義を聴く。

その講義でビートルズのメンバーは内容に心酔する。
翌日のセッションを中止にしてウェールズ北部のバンゴアへ向かった。

マハリシの講義によほど魅了されたのだろう。
そうでなければ予定されていたセッションを中止にしたりしない。

ビートルズにとっては前代未聞のセッション中止理由だっただろう。
このことからメンバー全員、特にジョンが夢中になったということがわかる。

翌日のバンゴアでのセミナーにはビートルズと妻たちだけではなく
ミック・ジャガーとその恋人であるマリアンヌ・フェイスフルも参加した。

すでにロンドンや芸能界では評判になっていたのだろう。
だからビートルズと妻の他にミック・ジャガーも参加したのだろう。

 


【資料】

彼らはバンゴアでいよいよ本格的にマハリシにハマってしまう
そこに思いもしなかった知らせが飛び込んでくる
ブライアン・エプスタインが死んだ

ビートルズ 20世紀文化としてのロック P.215)

 


ビートルズマハリシとの出会いはブライアンの死よりも先だった。
ビートルズマハリシに出会い心酔しセミナーに出掛けたときにブライアンは死んだ。

ブライアンを亡くした喪失感がビートルズとジョンにとって
マハリシを必要とさせたと思っていたが違う。

ビートルズはブライアンを失う前からマハリシに出会い心酔していた。
精神的支柱、精神的助言をしてくれる導師をビートルズは必要としていた。

 


【資料】

1967年8月24日
リンゴとモーリーンだけは次男のジェイスンが8月19日に生まれたばかり
だったので行かなかった

(映像版 Anthology 7 付属説明書)

 


ロンドンでのマハリシの講義に出掛けたのはメンバー3人だった。
リンゴは子供が生まれたので行けなかった。

 


【資料】

1967年8月25日

留守番電話で誘われたリンゴとモーリーンも同行した

(映像版 Anthology 7 付属説明書)

 


翌日のバンゴアでのセミナーにはリンゴも誘われて行った。
メンバーはよほど心酔したのだろう。

だから無理をしてでもリンゴを誘った。
絶対に体験しなければならない素晴らしいことだと思ったのだろう。