The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-181- 【Sexy Sadie】
【 Sexy Sadie 】 -3-
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【インタビュー】
ジョン
(インドへ行こうといったのは)わかりません
ひょっとしたらジョージかということもあるのですが、わかりません。
私はヨーコをインドにつれていこうとしていました。
もとの妻とヨーコのふたりをつれていこうとしていたのでどうやれば
いいのかわからず勇気がなくなってしまいました
(ビートルズ革命 P.78)
:
ジョンは誰がインドへ行こうと言い出したのかは覚えていない。
ビートルズはインドにそれぞれの妻を連れて行った。
このマハリシの教義が誰にでも必要で有益な素晴らしいものだと
メンバー全員が信じていたのだろう。
ジョンはオノ・ヨーコをインドへ連れて行こうとした。
ジョンには妻がいたので妻を連れて行くことになっていた。
その上にオノ・ヨーコも一緒に連れて行こうと考えた。
すでにジョンは精神的な繋がりをオノ・ヨーコに感じていた。
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【資料】
1959年にマハリシは国際瞑想協会を設立
1967年にはその運動は1万人のイギリス人会員を誇るものになり霊的再生運動としても
知られるようになった
(ビートルズ百科全書 P.468)
:
1959年にマハリシは宗教団体を立ち上げた。
ビートルズが出会った1967年には会員が1万人になっていた。
マハリシは瞑想という教義を教える教祖だったのだろう。
ロンドンで広まり人々に知られるようになった頃にビートルズと出会う
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【資料】
パティ・ハリソンは1967年2月にキャクストン・ホールで行われた
霊的再生の講演を聴き、その運動に初めて出会った。
(ビートルズ百科全書 P.468)
:
ビートルズがマハリシの講演を聴いて心酔する6ヶ月前に
ジョージ・ハリスンの妻、パティ・ハリソンがマハリシの講演を聴いている。
これが最初だった。
ジョージの妻、パティからジョージを介してビートルズにマハリシがもたらされる
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【資料】
ジョージがビートルズの活動にかかわっている間、時間の余裕があったパティは
マハリシの唱えるインド神秘主義に興味をそそられていった。
パティを介してジョージをはじめビートルズたちはその運動に興味を覚えるようになった。
ロンドンにあるアンダグラウンド広告版にマハリシがパーク・レインのヒルトンに
くるという掲示が出始めるとビートルズは4人とも行くことにした。
(ビートルズ百科全書 P.468)
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ジョージはビートルズで忙しかった。
一方、退屈で時間を持て余したパティはマハリシの活動にはまっていった。
パティからジョージを介してビートルズにマハリシはすでに伝わっていた。
そこにマハリシのロンドン・ヒルトン・ホテルでの講義の広告があった。
すでに興味を持っていたビートルズは講演を聞くことにした。
4人全員がジョージを介して興味を持っていたので全員で行くことにした。
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【資料】
講演の後で個人的に考えを聞きたいと申し出た。
ビートルズがマハリシに話しかけるとその週末にバンゴアで
予定されている10日間の超越瞑想課程に招かれた。
ビートルズはマハリシを導師として頼り、インドのリシケシにある
アーシュラムで3ヶ月を過ごすことにした。
(ビートルズ百科全書 P.468)
:
ロンドン・ヒルトン・ホテルでの講演を聞いた後に
ビートルズはマハリシに面会した。