The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-183- 【Sexy Sadie】
【 Sexy Sadie 】 -5-
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【年表】
1964年
パティ・ボイド(19歳)がジョージ・ハリスン(21歳)と出会う
1966年2月21日
パティ・ボイドがジョージ・ハリスンと結婚
1967年2月
パティ・ボイドが初めてマハリシの講演を聴いた。
1967年8月24日
ジョンとシンシア、ポールとジェーン、ジョージとパティは
マハリシの講義に出掛け魅了される
:
パティ・ボイドは19歳でジョージと出会っている。
2年後に結婚する。
結婚から1年後パティは初めてマハリシの講演を聴いた。
ジョージはビートルズの活動で忙しくパティは寂しかったのだろう。
子どものころに両親が離婚し寄宿学校に在籍したことが影響しているのかもしれない。
マハリシの教義に感動したパティはマハリシの瞑想運動にはまっていく。
このころは二人の仲もよかったのだろう。マハリシの教義はパティから
ジョージに伝わりビートルズのメンバーに順に伝わっていった。
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【年表】
1967年8月25日(金)
マハリシのセミナーに参加するためにウェールズ北部のバンゴアへ向かった。
1967年8月27日(日)
ブライアン・エプスタイン死亡(32才)
1968年2月~4月
ビートルズ、インド旅行
インドのリシケシュ(Rishikesh)にあるアーシュラム
超越的瞑想
:
初めてのマハリシの講演に感動したビートルズは翌日からのセッションを
キャンセル。かわりにマハリシのセミナーに参加するためにバンゴアへ行った。
2日後のセミナーが始まったばかりのビートルズのメンバーに
ブライアンの訃報が届く。
ブライアンの訃報で精神的に動揺したビートルズのメンバーは救いと助言を
マハリシに求めただろう。当然、マハリシは丁寧に答えただろう。
ブライアンの訃報でセミナーは受けられなかったのでビートルズは翌年の2月に
3ヶ月の予定でインドのリシケシュまで行ってセミナーの続きを受けた。
ブライアンがなくなってからインドでのセミナー受講までの6ヶ月間がビートルズと
マハリシの蜜月期間だろう。ビートルズはマハリシを導師として教えを乞うただろう。
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【資料】
ビートルズがバンゴアに滞在していた8月27日、ブライアン・エプスタインが
死んだ。
リンゴの友達が死んだという言葉には友人以上のたいせつな仲間を亡くした
という気持ちが感じられる
(映像版 Anthology 7 付属説明書)
:
ここでのリンゴの言葉には友人以上の大切な仲間だったとの思いがある
ブライアン・エプスタインはビートルズにとってかけがえのない重要な人だった。
だから彼を突然失った後ビートルズはどうしたらいいかわからなくなっただろう。
途方にくれた。そのときに頼ったのが丁度彼と入れ替わるように現れたマハリシだった。