The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-186- 【Sexy Sadie】
【 Sexy Sadie 】 -8-
いつジョンはこの曲を作ったのか
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【インタビュー】
レノン
荷造りして出ていこうとしているときに書いた
ぼくは後味の悪い思いでマハリシのもとを去った
(ビートルソングス P.145)
:
ビートルズがインドを去ろうとしていたときに
ジョンはこの曲を作曲した。
ジョンにとってはインドまで来て希望していた母親代わりは得られないし
信じていた導師には突然裏切られるしで散々な思いだった。
散々な思いの中でジョンはインドを去った。
去っていく直前にその散々な思いの中からインスピレーションがあったのだろう。
○
【資料】
ジョンがインドで着想を得た曲としては
これが最後の作品となる
(レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.87)
:
ジョンはインドでたくさんの曲を書いた。
その点ではマハリシの瞑想は偉大なる効果があった。
Sexy Sadieはマハリシへの失望から直接生まれた曲だが
他のインドで書いた曲は全てマハリシの超越瞑想の影響を受けたと言えるだろう。
ジョンはマハリシに期待した母親代わりは得られなかった。
最終的な目標はかなえられなかったから十分な満足は感じなかっただろう。
でもジョンは素晴らしいたくさんの曲を作れた。
どの曲もそれまでの曲よりも進化していた。
ジョンの曲は進化したしそれは同時にRock'n Roll全体を進化させた。
マハリシの超越瞑想は想像以上の効果をRock'n Rollに与えた。
○
【資料】
マハリシ・マヘシュ・ヨギに対する失望と苦々しさを払拭するつもりで
ジョンはこの曲を作った。リシケシュ滞在中にマハリシのとった行為を見て
ジョンは裏切られたと思った
それが原因でジョンとポールはマハリシと対立するようになった。
ジョンはまた、自分がマハリシの代弁者をやらされていたことにも気づいた。
(ビートルズ百科全書 P.640)
:
マハリシに対する失望からジョンはこの曲を作った。
ジョンは裏切られたと思った。
ジョンはマハリシに利用されていたと考えるようになった。
マハリシの広告塔になっていたと考えて、マハリシを非難する曲を作って訴えた。
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【資料】
マハリシはスイスに本部を設立し一時は毎月600万ポンドの収入があり世界中の信者の数が
200万人に達したといわれた。そのうち9万人がイギリス在住者だった
(ビートルズ百科全書 P.469)