Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-406- 【Why Don't We Do It In The Road】

 

【 Why Don't We Do It In The Road 】 -6-

 


【まとめ】

 

White Album」セッションでの録音33曲目

 


Why Don't We Do It In The Road について

2日目にリンゴだけが参加してドラムスをオーバー・ダブした。
実質的にポール1人の多重録音、ソロ・レコーディングだ。
録音機材も4トラック・マシンを使っている。
オーバー・ダビングも極力少なくするつもりだったのだろう。
この録音にはジョージ・マーティンも参加していない。
ポールはこの曲にはジョージ・マーティンも不要だった。
ジョンはこの曲が好きだった。
嫌だったのはポールがこの曲を1人で録音したことだ。

 


ビートルズの状態について

White Albumのセッションでジョンには2種類の曲があった。
バンド演奏のロックン・ロールとジョン & ヨーコの曲だ。
ポールはバンド演奏ではなく1人多重録音に夢中だ。
ポールはソロ・アルバム「McCartney」の音を見つけ出したのだ。
ジョンはこのロックン・ロール曲を
バンド演奏で自分も参加して完成させたかった。
ポールが弾き語りで1人多重録音で完成させることに
ジョンは不満だった。
昨日はジョンのジョン & ヨーコの曲の録音
この日はポールの1人多重録音のロックン・ロール
ビートルズ解散後の2人のソロ活動がこの2日間に現れている。
2人の音楽性の違いがこの2日間に現れている。
ジョンはポールがビートルズを離れていっている。
辞めたがっていると思っていた。
そしてポールがビートルズから離れつつあったことだ。
ジョンはそのことに怒りそして傷ついていた。
まず最初にジョンがポールを参加させずジョン & ヨーコで録音した。
それが面白くなかったポールは1人多重録音をするようになった。
少なくともポールは面白くはなかった。
そしてその気持ちはとても強かっただろう。
その強い感情のためにすぐにポールはジョンにとってのオノ・ヨーコのように
音楽上のパートナーにもなってくれる恋人を探し始める。
これはポールとジョンの冷たい「けんか」だ。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-405- 【Why Don't We Do It In The Road】

single,Street Fighting Man,米国発禁ジャケット



【 Why Don't We Do It In The Road 】 -5-

 


一方、ポールはジョンをどうみていたのか

 


【資料】

ポール

少ししてからジョンがこの歌を歌っていた。
彼はこれを気に入っていて、たぶん僕といっしょ
やりたかったんだと思う

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.37)

 


ジョンはこの曲が好きだった。
ジョンがこの曲を歌うのをポールが聞いている。

ジョンはポールとこの曲を演奏したかった。
そのことをポールは知っている。

 


【年表】

ポールの曲

1 Blackbird:1人多重録音
2 Ob-La-Di,Ob-La-Da:4人:バンド演奏
3 Helter Skelter:4人:バンド演奏
4 Hey Jude:4人:バンド演奏
5 Mother Nature's Son:1人多重録音
6 Rocky Raccoon::3人(ポール、ジョン、リンゴ):バンド演奏
7 Wild Honey Pie:1人多重録音
8 Back In The USSR:3人(ポール、ジョン、ジョージ) :バンド演奏
9 I Will:3人(ポール、ジョン、リンゴ):バンド演奏
10 Birthday:4人:バンド演奏
11 Honey Pie:4人:バンド演奏
12 Martha Wy Dear:3人(ポール、ジョージ、リンゴ):バンド演奏
13 Why Don't We Do It In The Road:2人(ポール、リンゴ):1人多重録音

 


これはポールの曲の一覧だ。
ポールはWhite Albumのセッションで全部で13曲を録音している。

13曲のうち1人多重録音が4曲、バンド演奏が9曲だ。
バンド演奏の9曲で4人が揃っているのは5曲、揃っていないのは4曲。

ポールの曲で4人が揃ってバンド演奏したのは13曲中で5曲。
ポールがバンド演奏から離れていっているのがわかる。

 


【インタビュー】

ポール

でもRevolution 9の時は彼も同じことをやったんだ。
彼はひとりで、ぼく抜きであれを作った。
なのに誰もそのことは口にしない。
今や彼はナイスガイでぼくはロクデナシなのさ

Beatles 1981年5月3日

(ビートルソングス P.142)

 

:
1980年のインタビューでジョンはポールの1人多重録音に傷ついていたと発言
ジョンが傷ついていたことをポールはこのインタビューで知った。

ポールはジョンが傷ついていたことに衝撃を受けたのだろう。
翌年1981年のインタビューで弁明している。

「ジョンは僕(ポール)の1人多重録音で傷ついたかもしれないが
ジョン自身もRevolution 9では僕(ポール)を参加させないで作った」

「それは僕(ポール)が1人多重録音で作ったのと同じではないか。
僕(ポール)だけでなくジョンもしているじゃないか」

「それなのに僕(ポール)は悪者にされて責められている。
僕(ポール)は衝撃を受けて悲しみに沈んでいる」

「それは不公平ではないか。
僕(ポール)とジョンは同じことをやりあっただけなのに」

ポールはそういう気持ちだっただろう。
ジョンがしたから自分もしたんだという気持ちだったのだろう。

 


【年表】

1968年5月30日
Revolution録音(1と9の原曲)

1968年5月31日
Revolution 1 録音

1968年6月4日
Revolution 1 録音

1968年6月5日
Don't Pass Me By 録音

1968年6月6日
Revolution 9録音
Don't Pass Me By 録音

1968年6月10日
Revolution 9 録音

1968年6月11日
Revolution 9 録音
Blackbird 録音

 


上記の年表はセッションの開始からポールがBlackbirdを
録音するまでの年表だ。

ジョンがしたから僕も同じように1人で録音したんだという
ポールの言い分は正しいのか。

セッション初日の5月30日Revolution(1と9の原曲)を録音する。
翌日と6月4日もRevolutionの録音だ。

6月5日ポールはリンゴと一緒にDon't Pass Me Byを録音する。
翌日6月6日ジョンはRevolution 9の録音を開始する。

ポールはジョンにRevolution 9の録音に誘われなかったので
Don't Pass Me Byの録音のみをした。

6月10日、6月11日とジョンはRevolution 9 の録音をオノ・ヨーコと続ける。
ポールは誘われていない。

6月11日にポールはBlackbirdを録音した。
経過をみると確かにジョンのほうが早い。

ジョンがRevolution 9をポールを参加させないでジョン & ヨーコで録音した。
それを受けてポールはBlackbirdを1人多重録音で録音した。

経過からするとそういうことになる。
ポールの発言は間違ってはいない。

まず最初にジョンがポールを参加させずジョン & ヨーコで録音した。
それが面白くなかったポールは1人多重録音をするようになった。

このときのポールの気持ちはどうだったのか。
あてつけなのか、嫉妬なのか、不貞腐れたのか。

少なくともポールは面白くはなかった。
そしてその気持ちはとても強かっただろう。

その強い感情のためにすぐにポールはジョンにとってのオノ・ヨーコのように
音楽上のパートナーにもなってくれる恋人を探し始める。

 


【資料】

ジョンはこの曲が好きで自分が歌いたかったと語り

ポールはそうはさせなかった。
逆にポールはRevolution 9に自分も関わりたかったのに無視されたのが
心外だった
そこでジョンとジョージが他の作業をしている間に
リンゴを誘ってそっと録音した。
こういうけんかのやり方もあるのか

The Beatles Remastered CD Guide P.150)

 


ジョンが好きな曲だというのはポールはわかっていた。
でもあてつけのためにポールはジョンを誘わなかった。

気づかれないようにリンゴだけ誘って録音した。
これはポールとジョンの冷たい「けんか」だ。

 


【資料】

ローリング・ストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」
 への返答歌

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.37)

 


1968年8月にヒットしたシングル。
ジャケットにはロサンジェルスでの暴動の写真が使われていた。

暴動を煽るということで放送禁止になる。
ミック・ジャガーは反体制のヒーローになった。

 


【資料】

インドで猿が交尾しているのを見かけたポールが
書いた曲

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.75)

 


インドで書いた。サルの交尾を見て触発された。このエピソード自体に
「ストリート・ファイティング・マン」へのからかいと悪意がある。

「ストリート・ファイティング・マン」のリリースは1968年8月
インドで書いたのならばポールは聞けるはずがないので返答歌ではない。

インドでの体験を思い出してWhite Albumのセッション中に作ったのだろうか。
からかいといい悪意といい人を食ったこの曲はジョンとポールにぴったりだ。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-404- 【Why Don't We Do It In The Road】

John LennonPaul McCartney



【 Why Don't We Do It In The Road 】 -4-

 


ジョンは1人多重録音をするポールをどうみていたのか

 


【資料】

ジョン

ポール、彼の傑作のひとつ

(ビートルソングス P.141)

 


ジョンはこの曲はポールの傑作だと思っていた。
ジョンはこの曲にこだわっている。

 


【インタビュー】

Why Don't We Do It In The Roadについて

ジョン

(ポールは)自分一人だけで別の部屋で録音したんだ。
あの時期は何でもそんな感じだった。
ぼくらがスタジオへ着くとあいつはもう一人で全部完成させてるんだ。
自分でドラムを叩いて、自分でピアノを弾いて、自分で歌ってね。

それなのにあいつは・・・あいつは、どうしても
ビートルズを抜けられなかった
なぜそうだったのかはわからない

(プレイ・ボーイ・インタビュー1980完全版 P.330)

 


ジョンはこの曲のことを鮮明に覚えている。
ジョンにとってこの曲は印象に残る重要な曲だった。

ジョンは覚えている。
ポールが1人だけでこの曲を録音したことを。

この曲以外でもWhite Albumでのポールは1人で録音した。
全部1人で演奏して完成させた。ジョンはそう思っている。

1人で演奏して完成させるのだからビートルズを必要としない。
ポールはビートルズから離れていっていた。

ジョンはポールがビートルズを離れていっている。
辞めたがっていると思っていた。

このインタビューは1980年のものでWhite Albumのセッションから
12年が経っている。記憶も曖昧になる頃だ。

そんなに昔のことなのにジョンはこの曲のこと、
この曲をポールが1人で録音したことを鮮明に覚えている。

その時の自分の気持ちも覚えていて
はっきりとインタビューで答えている。

だからこの発言は本当のことだろう。
ポールがビートルズから距離を置いているとジョンは思っていた。

 


【資料】

曲そのものは好きだよ。

それでも、ジョージの気持ちはわからないが、少なくともぼくは
ポールがぼくらを関与させずにさっさと何かをつくってしまったときは
いつも傷ついていた。

(プレイ・ボーイ・インタビュー1980完全版 P.330)

 


ジョンはこの曲が好きだった。
嫌だったのはポールがこの曲を1人で録音したことだ。

そしてポールがビートルズから離れつつあったことだ。
ジョンはそのことに怒りそして傷ついていた。

 


【インタビュー】

ポール

ジョンが公に傷ついたと言及したのは、あれが思い出す限りでは
唯一のケースだったね

(ビートルソングス P.142)

 


このインタビューは前掲のジョンのインタビューを受けてのもの。
1981年のポールのインタビュー発言だ。

ジョンは傷ついていた。これはジョンの亡くなる直前の発言だった。
それまでジョンはそんなこと話したことがなかった。

ポールはこの発言を聞いて落ち込んだだろう。
この発言をしてジョンはすぐに亡くなってしまう。

ポールはわだかまりを解くことが永遠にできなくなってしまう。
ポールはジョンが傷ついていたことを初めて知ったのかもしれないのだ。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-403- 【Why Don't We Do It In The Road】

Ringo Starr



【 Why Don't We Do It In The Road 】 -3-

 


ジョンとポールの音楽性の違いについて

 


【資料】

1968年10月10日
第2回録音

追加ボーカル、手拍子、ベース・トラック、
ドラムス(リンゴの唯一の役割)を第5テイクに録音
マッカートニーのエレクトリック・ギターをオーバー・ダブ

(The Complete Beatles Recording Sessions P.200)

 


翌日にオーバー・ダブをして完成させた。
ポールの手拍子とベース、エレクトリック・ギターを追加した。

リンゴがドラムスをオーバー・ダブ。
ポール以外では唯一のメンバーの演奏だ。

 


【資料】

リンゴが録音に加わった。
4トラックを使用。
2人はベースとドラムスをトラック3に録音。
トラック1のポールのリード・ボーカルを録り直した。
トラック2に手拍子とピアノを録音。
トラック4にポールのセカンド・ボーカルを録音。
ここで第6テイクにリダクションしてトラック1と4を重ねる。
そしてポールのエレクトリック・ギターをオーバー・ダブ

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.219)

 


リンゴがドラムスを演奏した。
機材は4トラックだった。

トラック3にポールがベース、リンゴがドラムスを一緒に演奏して録音した。
ベーシック・トラックはポールの弾き語りでありリズム隊をオーバー・ダブ。

もしもベーシック・トラックをポールとリンゴのドラムスの
同時演奏で録っていたらそれはポールの1人多重録音ではなくなる。

あくまでも基本はポールの弾き語りであり
本来ポールが自分でドラムのオーバー・ダブもするはずだった。

約束によりリンゴに叩かせてオーバー・ダブしているだけだ。
ポールはドラムも自分でしたかっただろう。

トラック1のリード・ボーカルを録り直し。トラック2に手拍子とピアノを
録音した。昨日のピアノを録り直したのかもしれない。

トラック4にポールのセカンド・ボーカルを録音。トラックの空きがなく
なったのでリダクションしてエレクトリック・ギターをオーバー・ダブ。

これで完成する。
ほぼポールの1人多重録音だ。

 


【資料】

ジョンは後日参加させてくれなかったと不満を言った。
自分ならもっとうまく歌えた。

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.219)

 


ジョンはこの曲に参加したかった。
ジョンには声がかけられなかったのだ。

ジョンはこのロックン・ロール曲を
バンド演奏で自分も参加して完成させたかった。

ポールが弾き語りで1人多重録音で完成させることに
ジョンは不満だった。

 


【資料】

この曲もWild Honey Pieのようなポールのワンマン・レコーディング
ただし今回はドラムをリンゴが手伝っている

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.37)

 


ポールの1人多重録音とみなしている。
ただドラムをオーバー・ダブでリンゴが演奏しただけだ。

 


【年表】

1968年10月10日
第2回録音

Glass Onion
第6回録音
完成
ストリングスを加える

Piggies
第3回録音
完成
ストリングスを加える

 


この日は他にメンバーの演奏での録音はなかった。
Glass OnionとPiggiesのストリングスのみだった。

だから他のメンバーはセッションには来ていなかっただろう。
ポールはジョンとジョージには声をかけなかった。

声をかけたら来たはずだ。
ポールはリンゴのみには声をかけた。

リンゴとの約束を守るためだ。
ポールは意図的に1人多重録音を選択した。

 


【年表】

1968年10月8日
The Continuing Story Of Bungalow Bill
第1回録音

1968年10月9日
Why Don't We Do It In The Road
第1回録音

 


昨日はジョンのジョン & ヨーコの曲の録音
この日はポールの1人多重録音のロックン・ロール

ビートルズ解散後の2人のソロ活動がこの2日間に現れている。
2人の音楽性の違いがこの2日間に現れている。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-402- 【Why Don't We Do It In The Road】

アルバム「McCartney」



【 Why Don't We Do It In The Road 】 -2-

 


実質的にポール1人の多重録音

 


【資料】

1968年10月9日
第1回録音

ベーシック・トラックを手早く録った
10月10日にオーバー・ダブするリンゴのドラム・トラックを
別にすれば、これもマッカートニーが4トラック・マシンを使って
行ったソロ・レコーディング

(The Complete Beatles Recording Sessions P.200)

 


この日にポール1人でベーシック・トラックを録った。
ジョンもジョージも参加していない。

2日目にリンゴだけが参加してドラムスをオーバー・ダブした。
実質的にポール1人の多重録音、ソロ・レコーディングだ。

録音機材も4トラック・マシンを使っている。
オーバー・ダビングも極力少なくするつもりだったのだろう。

この録音にはジョージ・マーティンも参加していない。
ポールはこの曲にはジョージ・マーティンも不要だった。

 


【年表】

1968年10月8日
I'm So Tired
第1回録音

The Continuing Story Of Bungalow Bill
第1回録音

1968年10月9日
Why Don't We Do It In The Road
第1回録音

 


前日の録音曲はI'm So TiredとThe Continuing Story Of Bungalow Bill。
バンド演奏の曲とジョン & ヨーコの曲だった。

White Albumのセッションでジョンには2種類の曲があった。
バンド演奏のロックン・ロールとジョン & ヨーコの曲だ。

ジョンは10月3日~7日セッションに参加していない。
前日の10月8日からセッションに復帰している。

だからこの日10月9日にジョンと一緒に録音しようと思えばできた。
ポールはジョンに黙ってこの曲を1人で演奏するのを選んだ。

ポールは1人で演奏したかったのだ。
2日目のリンゴによるドラムスのオーバー・ダブも本当はいらなかった。

ポールは1人で多重録音で弾き語りでこの曲をしたかったのだ。
リンゴを参加させたのはリンゴと約束したから守ったにすぎない。

ポールは弾き語りのロックン・ロールというものを発見し夢中になっていた。
それはこの曲に限らずWhite Albumのセッションの最初からそうだ。

この曲は他のアルバムであれば当然バンド演奏用の曲だ。
バンド演奏が映える。White Albumでなければ当然バンド演奏になっていた。

1人多重録音に向いた曲ではない。
でもこの曲はポール1人の多重録音になった。

ポールはバンド演奏ではなく1人多重録音に夢中だ。
ポールはソロ・アルバム「McCartney」の音を見つけ出したのだ。

ポール1人による弾き語りのロックン・ロール
ポールが生み出したロックの新しいジャンル。

ポールはソロはバンド演奏と1人多重録音の両輪で成立している。
片輪の1人多重録音をポールが見出したのはWhite Albumのセッションだ。

 


【資料】

リード・ボーカルとアコースティック・ギターを5テイク録音し
第5テイクにピアノ・トラックをオーバー・ダブ。

(The Complete Beatles Recording Sessions P.200)

 


ギターの弾き語りで5テイク録音した。
第5テイクをベストとしてピアノをオーバー・ダブ

 


【資料】

アコースティック・ヴァージョンである2分40秒と長い第4テイクが
CD版 Anthology3で聞ける。

(Complete Beatles Audio Guide P.124)

 


第4テイクがCD版 Anthology3、1-26曲目で聞ける。
ギターの弾き語りのアコースティック・ヴァージョンだ。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-401- 【Why Don't We Do It In The Road】

 

【 Why Don't We Do It In The Road 】 -1-

 


今の感想

 


このセッションでの録音33曲目。
ポールの曲


ポールの1人多重録音のロックン・ロール
ジョンが参加していないのが雰囲気でわかる

ジョンが参加していたらもっと素晴らしいロックン・ロールに
なっていただろう。この曲は未完成だ。

完成していたら、I've Got Feelingのようになっていた。
I've Got Feelingがこの曲の完成形だ。

だからジョンが参加していたらよかったのにと思っていた。
でも考えを変えた。

考えを変えさせたのはポールのソロ1st「McCartney」だ。
このアルバムの素晴らしさがわかったらこの曲の素晴らしさもわかる。

この曲からソロ1st「McCartney」は繋がっている。
どちらもポール1人によるロックン・ロールだ

弾き語りのロックン・ロール
ポールが生み出したロックの新しいジャンル。

1人での弾き語りのロックン・ロール
ポールも感じたのだろう。

この新しいジャンルの革新性を。ポールは夢中になってこの新しいジャンル、
1人での弾き語りのロックン・ロールに邁進した。

この曲の素晴らしさはソロ1st「McCartney」を好きな人にはわかる。
ジョンはわかったのだろう。

この曲の素晴らしさ、革新性がわかった。
でもバンド演奏ではないから自分は疎外されている。参加させてもらえない。

バンド演奏がジョンのしたいことだ。素晴らしい曲であるのに
その曲は1人での弾き語りという革新性のあるジャンル

これがジョンにとってはジレンマだった。
このジレンマの中でジョンは不満を感じ怒りが積もったのだろう。

この曲はこの時のジョンとポールの意識の齟齬を体現している。
セッションも大詰めとなったこの曲に2人のすれ違いが刻まれている。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-400- 【The Continuing Story Of Bungalow Bill】

 

【 The Continuing Story Of Bungalow Bill 】 -5-

 

 

【まとめ】

 


White Album」セッションでの録音32曲目

 


The Continuing Story Of Bungalow Bill について

スタジオにいた人は誰もがこのセッションに参加した
オノ・ヨーコは「not when he looked so fierce」の1行をソロで歌った。
女性のリード・ボーカルはビートルズのレコーディングで初めてだ。
オノ・ヨーコがこの部分をソロで歌ったのは
歌詞的に登場人物の母親のセリフだったからだ。
この第2テイクを聞くとオノ・ヨーコのボーカルが上記の2行だけではなかった
ことがわかる。
オノ・ヨーコは初めから最後までジョンと一緒にリード・ボーカルを歌っているのだ。
ジョンにとって元々の構想はジョンとオノ・ヨーコが一緒に歌うことだった。
ポールは演奏に参加している。
4人での同時演奏だ。
メロトロンはクリス・トーマス
「Eh,up!」の意味は(えっ、ちくしょう)
リヴァプール訛りだ
ジョンがアメリカを意識して歌詞を書いたのは確実だ。
歌詞にはジョンの反米感情が含まれている。
歌詞のこの部分はヴェトナム戦争反対のデモのシュプレヒコール
アレンジしたものだ。

 


ビートルズの状態について

White Albumのセッションからジョンはポール以外にもう1人
パートナーを持った。それがオノ・ヨーコだ。
セッションも最後になってジョンはもう1曲ジョン & ヨーコの
曲を録音した。それがこの曲だ。
ジョン & ヨーコの作品としてジョンは録音したのだ。
ジョンはヴェトナム戦争についても表明したかった。
White Albumで直接表明はしなかったがこの歌で反米の姿勢を示した。
この曲は歌詞の面でもフルクサスの精神、混沌と叛乱およびオノ・ヨーコ
影響を強く受けている。