The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-329- 【Birthday】
【 Birthday 】 -2-
誰がいつ作曲したのか
○
【インタビュー】
ジョン
White Albumの曲はみんなインドで書いた。
Birthdayはスタジオで書いた。
その場で作り上げたんだ。
(プレイ・ボーイ・インタビュー1980完全版 P.331)
:
White Albumの曲はほとんどがインドで書かれている。
しかし、この曲はインドではなくスタジオで作られた。
ジョンはそのことをよく覚えている。
スタジオで書いたとインタビューで答えている。
当日にその場で作ったと答えている。
よく覚えているのはジョン自身も一緒に作ったからだ。
○
【資料】
ジョン
「ぼくら2人で書いた」
1972年4月号 Hit Parader
(ビートルソングス P.143)
:
ジョンが1972年にも2人で書いたと発言している。
ジョンも一緒に共作した。
○
【資料】
ポールが最初に入ってきてBirthdayのリフを弾き始めた。
そのうちに他のメンバーがやって来て、でもその時までには
ポールはきっちり曲を書き終えていた。
(ビートルソングス P.143)
:
当日にスタジオにポールが入ってきてリフを弾き始めた。
最初はリフだけがあった。
他のメンバーがスタジオに来た時には
曲はできていたとクリス・トーマスは発言している。
クリスにはポールが一人で書いたように見えたのだろう。
実際はポールがリフを持ってきていてメロディの多くを書いた。
そこにジョンがスタジオに来てメロディの一部を作り
ポールと一緒に完成させたのだろう。
○
【インタビュー】
ジョン
Birthdayはスタジオで書いた。その場で作り上げたんだ。
ポールは「ハッピー・バースデイ・ベイビー」という古い50年代の
ヒット曲のようなものを書きたかったんだと思う
ガラクタみたいな曲だ
(プレイ・ボーイ・インタビュー1980完全版 P.331)
:
ポールは50年代のヒット曲「ハッピー・バースデイ・ベイビー」のような
曲を作りたかったとジョンは言っている。
そしてBirthdayをガラクタと発言している。
ジョンは自作の曲を後年のインタビューで悪く言うことが多い。
Birthdayも一部ながらジョンも作っているのでつい口が滑ったのだろう。
ジョンが作曲に関わったということでもあるのだろう。
○
【資料】
スタジオで楽しみながら、なんの準備もしていない状態で
思わず足を踏み鳴らしたくなるロック・ナンバーを
ゼロからつくりあげること。
これはポールのアイデア
(ビートルズ・リリックス名作誕生 P.370)
:
前もって作曲を完成させないで全部スタジオで作り上げること。
これは偶然ではなくポールの意図したことだった。
入念に準備し全曲のデモすら作成してセッションに臨んでいるのに
この曲だけどうして当日にスタジオで作曲するのか。
それはこの曲を作るきっかけがこの日にあったからだ。
そのきっかけとはこの日にTV放送された映画である。