Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-291- 【Back In The USSR】

Ringo Starr



【 Back In The USSR 】 -4-

 


リンゴとジョージとマーティンの連続した失踪について

 


【年表】

1968年8月17日
ジョージ・ハリスンとパティがギリシャに旅行

1968年8月21日
ジョージ・ハリスンとパティが帰る

1968年8月22日
リンゴはグループを一時脱退してサルジニアで過ごす

1968年9月3日
リンゴがサルジニアから帰ってくる

ジョージ・マーティンが休暇をとる

 


8月17日にジョージとパティが突然旅行にでかける。
8月21日に帰ってくる。

翌日の8月22日にリンゴがビートルズを脱退する。
9月3日に帰ってくる。

同日の9月3日にジョージ・マーティンが休暇をとる。
この日から1ヶ月ほどマーティンは録音に参加しない。

White Albumのセッションに不満を持つのはこの3人だ。
綺麗に3人が連続して録音現場から失踪している。

3人のセッションへの不満はこの時がピークだ。
特にリンゴがビートルズを脱退した8月22日~9月3日

この時3人の不満は最高潮だったはずだ。
現場も雰囲気は悪かっただろう。

メンバー2人とプロデューサーが仕事を放棄するほど不満を持っているのだ。
もう無理だと思ったのだろう。リンゴに続いてマーティンが失踪した。

 


【資料】

ジョージがギリシャでの休暇旅行から帰って翌日
リンゴが脱退した。
セッションの雰囲気の悪さとポールのドラミングへの批判が原因だった。
そしてなんと残りのメンバー3人はリンゴ抜きで録音を続けた。

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.205)

 


リンゴはポールのドラミングへの批判で脱退した。
残りのメンバーはリンゴ不在で録音を続けた。

 


【資料】

このセッションでは少なくともふたりのストライキがあり
初めはジョージがやがてはリンゴが欠席した

ビートルズ全曲解説(ティム・ライリー著) P.294)

 


この資料ではジョージとリンゴの失踪をストライキ
表現している。

ストライキであれば要求があるはずだ。
ジョージの要求は主に二つだ。

ギターを弾かせろ。
この要求はポールへのものだ。

もう一つは自分の曲を真剣に演奏しろ。
これはポールとおそらくジョンも入るのだろう。

リンゴの要求はドラムを叩くな。
ポールへの要求だ。

そしてもう一人、マーティンもストライキをおこしている。
彼の要求はプロデュースさせろ、無視するなだろう。

 


【インタビュー】

リンゴ

僕はジョンに会いに行った。
僕は君たちに好かれてなくて孤立してる
君たちはほんとに仲がいい
それからポールの家に言って同じことを言った。
そのあとジョージの家に行き
僕は休暇をとると告げサルジニアに行った。

(書籍 The Beatles Anthology P.311)

 


リンゴはジョンとポールに直接会って気持ちを伝えている。
このことがリンゴの脱退という問題を解決できた理由だろう。

リンゴの代わりにポールがドラムを叩くことがリンゴを傷つけていると
ポールが自覚しているのもこのリンゴの直接の訴えのおかげだろう。

リンゴは3人全員に一人ずつ直接会いに行った。
これはリンゴの3人への決別の挨拶だったのだろう。

一方ジョージはギターを弾かせろも真剣に演奏しろも言えていない。
White Albumでは作曲者がアレンジを決めるとのジョンの方針があったからだ。

ジョージは不満を直接主張できていない。
ポールには伝わらなかったのではないだろうか。

このことからもリンゴの問題は解決していき
ジョージの問題はこじれていく未来が予想できる。