The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-300- 【Dear Prudence】
【 Dear Prudence 】 -2-
ポールはドラムの演奏を誰に聞かせたかったのか
○
【年表】
1968年8月22日
リンゴはグループを一時脱退してサルジニアで過ごす
1968年8月28日
Dear Prudence
第1回録音
1968年8月29日
Dear Prudence
第2回録音
1968年8月30日
Dear Prudence
第3回録音完成
1968年9月3日
リンゴがサルジニアから帰ってくる
:
リンゴは8月22日にビートルズを脱退してサルジニアで過ごしていた。
リンゴ不在の中8月28日にセッションは開始され8月30日に完了した。
リンゴは録音が完了した4日後にグループに復帰した。
リンゴ不在時の録音以外にこの曲のセッションは行われていない。
ドラムスはリンゴではない。
これは確実だ。
○
【資料】
ポールがドラムスを叩いているのだが、後半でのプレイは
とてもリンゴの代わりに叩いたとは思えないほど、ドラマーとしての
才能を見せている
:
ポールがドラムを叩いている。
後半での激しいプレイは才能があると評価している。
○
【資料】
エンディング近くではところどころにタムを含めた
みごとなドラミングを聴かせてくれる。
(The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.30)
:
この資料でも後半のドラムはみごとだとしている。
ドラムス、特に後半の演奏は褒め称えられている。
ポールのドラムはみごとだった。
ポールはみごとなドラムをジョンに披露したかったのだろう。
なぜならポールはドラムを演奏していることをインタビューなどで
発言しなかったからだ。
多数の人にドラムもできることを知ってもらいたいなら
インタビュー、取材で発言するだろう。
ビートルズの評伝を書いている作者も近くで張り付いている。
この作者にもポールはドラムのことを話してはいない。
ではポールは誰にドラムを聞かせたかったのか。
ポールが演奏を聞かせたい相手は一人しかいない。ジョンだ。
「The Ballad Of John And Yoko」はポールがドラムを演奏している。
ポールとジョンが楽しく仲睦まじく2人で演奏している曲だ。
ジョンのバックでのポールの嬉々としたドラム捌きはこの曲から
The Ballad Of John And Yokoへと繋がっている。