The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-290- 【Back In The USSR】
【 Back In The USSR 】 -3-
リンゴの心情はどうだったのか
○
【資料】
Love Me Doのレコーディングに行った時
ジョージ・マーティンはプロのアンディ・ホワイトを使ったんだ。
ジョージ・マーティンに信頼されてないってわかって僕はがっくりきたね。
やる気満々で行ったのにプロのドラマーがいるからって言われたんだ。
ジョージ(マーティン)にはその後何度も謝られたけどあれはひどいよ
あのことを僕は何年も恨んでいた。いまだに完全に許しちゃいないからね
その後はすべて僕がドラムをやってるよ
(まあ、「Back In The USSR」とか数曲は除くけど)
(書籍 The Beatles Anthology P.76)
:
Love Me Doのレコーディングではマーティンが一方的に独断で
セッション・ドラマーを雇った。
Love Me Doのドラムはセッション・ドラマーが叩いている。
1stシングルの録音でリンゴは演奏を外された。
このことはリンゴにとって衝撃だった。
リンゴはずっと後になっても許してはいない。
マーティンは何度も謝ったのだろう。
でもリンゴは許してはいない。
また、リンゴはBack In The USSRでドラムを外されたことも
許してはいない。
リンゴにとってドラムを他人が叩くことが最も屈辱であり
許すことのできないことだ。
そのドラムをBack In The USSRの録音ではポールに否定された。
ドラムをなくしたリンゴはもうバンド内に居場所がない
○
【インタビュー】
リンゴ
僕がバンドを離れたのにはふたつの理由があった。
ひとつは自分が優秀なプレイヤーではないと感じていたから。
もうひとつは他の3人がほんとに楽しそうで
自分が部外者みたいな気がした
僕はジョンに会いに行った。
僕は君たちに好かれてなくて孤立してる
君たちはほんとに仲がいい
それからポールの家に言って同じことを言った。
そのあとジョージの家に行き
僕は休暇をとると告げサルジニアに行った。
(書籍 The Beatles Anthology P.311)
:
リンゴは自分を優秀なドラマーと思っていなかった。
また、バンドの中で孤立していると思っていた。
ジョンとポールに孤立していることを告げに行った。バンドの中心であり
仲のよい2人の仲間にはなれていないと思っていたのだろう。
ジョージには2人とは違ってサルジニアに行くと告げた。
リンゴはジョージは自分と仲良くしてくれていたと思っていたのだろう。
Yer Bluesの回で資料から導き出したとおり
リンゴは一体感を感じられるバンド演奏が好きだ。
また、リンゴには強く結びついている状態が
素晴らしいとの価値観がある
リンゴはバンドが好きで結束した仲のよいバンドが好きだ。
そのバンドに属していることにリンゴのアイデンティティはある。
そこに今回の録音ではドラマーとして否定され居場所がなくなり
バンドの仲間としても孤立していると感じている。
自分にはもう居場所がない。バンドにいる理由もない。
リンゴはそう考えた。
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【インタビュー】
ケン・スコット
理由は忘れたけどリンゴがなにかでイライラしてたのを覚えてる
そしたら突然彼がバンドを辞めたと知らされたんだ。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.188)
:
周囲のスタッフにもわかる露骨な不機嫌だった。
スタッフにとって理由のわからない突然の出来事だった。