The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-292- 【Back In The USSR】
【 Back In The USSR 】 -5-
リンゴ脱退の顛末
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【資料】
ポールは自分でドラムを叩いて難なくBack In The USSRを仕上げたが
リンゴに辞められては困ると思い日を置いて彼を説得した。
地中海に飛んだリンゴはピーター・セラーズのヨットで過ごし
9月5日にスタジオに戻った。
約2週間の脱退劇はメンバーの結束を固めたようで
White Albumのセッション後半は和やかなムードだったという
(ザ・ビートルズ・マテリアル vol.1 P.111)
:
リンゴが失踪したためにドラムはポールが叩いた。
ポールはリンゴなしで完成させた。
リンゴは失踪中はピーター・セラーズと過ごした。
スタジオに戻ったのは9月3日だ。
なぜなら9月4日にはHey Judeのプロモーション・フィルムの撮影があり
リンゴは映像に映っている。リンゴは参加しているからだ。
このリンゴの脱退劇でポールは理解したのだろう。
ポールがリンゴのドラムを叩いたことでリンゴを傷つけた。
リンゴはビートルズを辞めてしまった。自分がドラムを叩くと
リンゴがバンドを辞める、バンドが解体するとやっとわかったのだろう。
ポールはリンゴを説得した。
この説得にはもうドラムは叩かないという内容があったはずだ。
だから今後のセッションでポールはドラムを叩いていないはずだ。
リンゴの問題はこれで解決し和やかなムードになったのだろう。
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【資料】
リンゴ不在でもレコーディングをつづける。
3人はまず伴奏を録音する。
ドラムスがポール(後にジョンとジョージもオーバー・ダビングで叩く)
ジョンがベース、ジョージがギターだ。
翌日さらにダビングを重ねボーカルやコーラスとともに
ベース(ポールとジョージ)、ギター(ポールとジョン)
その他を演奏して完成させる
(これがビートルズだ P.186)
:
リンゴ不在でも3人は録音を続けた。
3人はリンゴがいなくなったことを本気で憂えていない。
3人でドラムを叩いている。
3人はリンゴ不在の録音を楽しんでいる。
○
【資料】
リンゴが演奏していない曲をアルバム、しかも2枚組の
トップの曲に選んでしまうという大胆な決定もビートルズならでは
:
リンゴがドラムを演奏していないこの曲がアルバムの1曲目
2曲目もリンゴがドラムを叩いていない。
ジョンとポールはリンゴが参加しているかどうかを気にしていない。
純粋に気に入った曲を冒頭と2曲目にもってきている。
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【資料】
84年の米国の独立記念コンサートでビーチ・ボーイズがこの曲をカヴァー
したがコンサートに飛び入りしていたリンゴがドラムをたたくはめになった。
リンゴはどんな気持ちだったのか
(The Beatles Remastered CD Guide P.139)
:
1984年7月4日、ワシントンでの独立記念コンサート
ビーチ・ボーイズがこの曲をカヴァー、リンゴがドラムを叩いた。
リンゴはマイク・ラブから紹介を受けて両手を突き上げる。
とても高揚していて元気にドラムを叩く。
ビーチ・ボーイズはこの曲でリンゴがドラムを叩いていないのを
知っていたのだろうか。
リンゴは叩きながらこの曲を取り戻した気分になったのだろうか。
長年の鬱憤は晴れたのだろうか。
Love Me Doもリンゴはソロアルバムでドラムを叩いてアルバムに収録している
リンゴは叩き残した曲をソロになってから取り戻している。