The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-289- 【Back In The USSR】
【 Back In The USSR 】 -2-
リンゴはなぜ脱退したのか。
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【年表】
1968年8月22日
第1回録音
リンゴ脱退
:
8月22日、この曲の録音初日に
リンゴがビートルズを脱退した。
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【資料】
Back In The USSRの途中でトムトムのつなぎの部分を
しくじったリンゴ・スターに対してポールはちょっとしたレクチャーを行い、
実際にどうすべきか実演してみせた。
リンゴの反応はスティックを投げつけて自分の演奏は明らかにうまくないから
仲間はずれのように感じていたと口にして今までにない不機嫌さで出て行くと
いうものだった。
(ポール・マッカートニー ザ・ライフ P.277)
:
この曲の演奏中にリンゴがドラムスを失敗した。
ポールは失敗を指摘し講義しどうすべきが実演してみせた。
これにリンゴは気分を害した。
自分はドラムの演奏が上手ではないと言ってでていった。
○
【資料】
Back In The USSRのレコーディングの最中、リンゴのドラムが少し
トチったことをポールがからかったことで、とうとう堪忍袋の緒が
切れたリンゴはこの日、ついにビートルズを脱退した
しかしリンゴがいなくてもレコーディングは中止しないで進められた
:
リンゴはずっと我慢していた。
ポールがドラムを演奏することにずっと耐えていた。
この曲のドラムを失敗したことをポールに指摘されたことで
我慢していたのが堪えられなくなった。
リンゴは同日にビートルズを脱退した。
リンゴ脱退後にも録音は続けられた。
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【資料】
8月22日木曜日の夜、リンゴが脱退を宣言して帰ってしまった。
リンゴはBack In The USSRのタム・タムのフィルを
ポールの希望通りに叩けなかったらしく自分は必要とされていないと
感じてマーティンに「辞める」と告げた
(ザ・ビートルズ・マテリアル vol.1 P.111)
:
ポールはリンゴにこの曲のドラムスを指示していた。
ポールの希望通りにリンゴは叩けなかった。
メンバーの要求するドラムの演奏ができない。
自分はバンドに必要とされていない。
リンゴは自分はバンドに不要な存在だと感じて
マーティンにビートルズの脱退を告げて去った。
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【資料】
ビートルズ内部のテンションはこの夜頂点に達する。
そしてリンゴがグループを脱退した。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.188)
:
リンゴはポールがドラムを叩くのに不満だった。
ポールがドラムを叩いて録音する現場にも直面した。
リンゴはギリギリのところでかろうじて録音に参加していた。
そこにこの日の出来事は追い討ちを掛けた。
リンゴはバンドのメンバーを続けられないと思った。
ビートルズの脱退を決心した。
それは突発的なものではなくポールがドラムを叩き始めてから
徐々にリンゴの心に生まれてきたものだ。