Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-338- 【Piggies】

George Martin、The Beatles



【 Piggies 】 -3-

 


ビートルズの4人とジョージ・マーティンの1968年8月について

 


【年表】

1968年7月20日
ポール、ジェーン・アッシャーと婚約破棄

1968年7月31日
Hey Jude
ジョージのリード・ギターがほとんど消去される。

1968年8月
ポールとフランシー・シュワルツが別れる

1968年8月16日
While My Guitar Gently Weeps
マーティンはプロデュースから外れていた

1968年8月17日~8月21日
ジョージ・ハリスンとパティがギリシャに旅行

1968年8月22日
ジョンとシンシアの離婚決定

1968年8月22日
リンゴはグループを一時脱退

1968年8月31日
ジョン & ヨーコ「未完成作品第1番:トゥー・ヴァージンズ」の
ジャケットが全裸であることを報道「プライヴェート・アイ」

1968年9月3日
ジョージ・マーティンがセッションに来なくなる

1968年9月4日
リンゴがグループに復帰

1968年9月6日
While My Guitar Gently Weeps
完成

1968年9月9日~10月1日
ジョージ・マーティン休暇で不在

1968年9月19日
Piggies
第1回録音

 


ビートルズのメンバーにとって1968年8月はどん底だ。
ジョージ・マーティンにとっても悪夢だった。

始まりは7月20日のポール、ジェーン・アッシャーと婚約破棄だ。
これでポールの精神状態は崩れた。短い期間だったが崩壊した。

ポールは精神が崩壊した時、作曲と録音に集中する。
1968年8月はHey Judeであり、1970年はソロ1st「McCartney」だ。

7月31日Hey Judeの録音でジョージのリード・ギターがほとんど消去される。
ジョージは精神的に傷つき遺恨が残る。

1968年8月ポールとフランシー・シュワルツが別れる
ポールは他の女性とも別れて前を向き始める。

セッションの最初からマーティンはプロデュースするのを拒否されていたが
8月16日には明らかにマーティンはプロデュースから外れていた

8月はジョージにとってもどん底だった。自作曲の録音がうまくいかない。
8月17日ジョージは突然旅行に出掛けてセッションからいなくなってしまう。

8月22日ジョンとシンシアの離婚決定
同日にリンゴはグループを脱退

ジョンとリンゴもそれぞれ激動の嵐の中だった。
8月31日ジョン & ヨーコ2人の全裸のジャケットがニュースになる

9月3日とうとうマーティンがセッションに来なくなる
ビートルズの4人とマーティンにとって1968年8月はどん底であり悪夢だった。

その象徴がジョージのギターが削除されたHey Judeであり
収録されなかったジョージのNot Guiltyだ

9月になると状態はよくなり始める。
リンゴは戻ってきたしWhile My Guitar Gently Weepsも完成した。

メンバー4人の傷ついた心は9月に入って徐々に立ち直っていく。
ジョージの3曲目Piggiesが録音されたのはそんな時だ。

ただマーティンはセッションに来なくなったままだ。
マーティンはここから10月1日までの約1ヶ月間録音現場にいない。

一番傷ついていたのはマーティンの心だったのだろう。
ビートルズとマーティンの間の溝は深い。