The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-231- 【Hey Jude】
【 Hey Jude 】 -14-
録音最終日のオーケストラのオーバー・ダビングについて
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【資料】
1968年8月1日
第4回録音
第1テイクへのオーバー・ダブ
Hey Judeは非常に短時間で完成した。
午後5時~8時の間に
ポール・マッカートニーのベース・ギター及びリード・ボーカルと
あとのバック・ボーカルをオーバー・ダブ。
続いて8時~11時にはリフレイン部分のオーケストラを録音する
(The Complete Beatles Recording Sessions P.182)
:
正規版のベーシック・リズム・トラックである第1テイクを録音した翌日
完成に向けてオーバー・ダビングを行った。
まずビートルズのメンバーによる録音が行われた。
ポールのベースとリード・ボーカルが録音された。
リード・ボーカルをこの日に録音して差し替えた。
だから昨日の第1テイクとはリード・ボーカルが変わっている。
昨日の第1テイクをミックスしたジャイルズがミックスしたスーパー・デラックス・
エディション(CD5 セッションズ 3曲目)とはボーカルが違っている
次にバック・ボーカルを録音した。スーパー・デラックス・エディションの
ヴァージョンにはまだバック・ボーカルは入っていない。
メンバーの録音が終了した後、午後8時からオーケストラを録音した。
最後のリフレイン部分のオーケストラだ。
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【資料】
トライデント・スタジオで午後5時から午前3時までのセッション
36人編成のオーケストラを使ってジョージ・マーティンのアレンジで
オーバー・ダビングが行われた。
(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.355)
:
この日の録音も夜から深夜にかけて行われた。
オーケストラは36人だった。
ジョージ・マーティンがオーケストラのスコアを書いた。
ジョージ・マーティンの指示でオーケストラの録音が行われた。
マーティンにとっては久しぶりの仕事だっただろう。
White Albumではプロデューサーとしての役割を剥奪された。
スタジオではただの傍観者だっただろう。
前録音曲のWhile My Guitar Gently Weepsではジョージにも叱責されている。
ビートルズのプロデューサーとして成功と自信に溢れていた姿は形もなかった。
前作「Sgt. Pepper's」の天国から地獄への墜落だった。
ただオーケストラのスコアだけは書かせてもらうことができた。
前作はGood Nightであり今回のHey Judeもマーティンがスコアを書いた。
だがそれはプロデューサーとしてではなくビートルズからの指示という形だった。
あくまでビートルズの指示でオーケストラのスコアを書いたということだ。
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【資料】
オーケストラのミュージシャンたちは、最後のリフレインの部分を力強く
もりあげるために手拍子と「nah nah nah nah nah nah ,Hey Jude」という
バック・ボーカルにも参加するように依頼された
(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.355)
:
36人のオーケストラのミュージシャンはバック・ボーカルも担当した。
最後のリフレインの「nah nah nah nah nah nah ,Hey Jude」のボーカルだ。
手拍子も担当した。
リフレインの盛り上がりはオーケストラのミュージシャンによるものだった。
これでHey Judeは完成した。
非常に短期間にスムーズに録音は終わった。
2日間のリハーサル。ベーシック・リズム・トラックの録音に1日。
オーバー・ダビングに1日の計4日間だ。