Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。 -199- 【Sexy Sadie】

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ジョージ・マーティン、ジャイルズ・マーティン



【 Sexy Sadie 】 -21-

 


メンバーとの険悪な関係とジョージ・マーティンの苦悩

 


【インタビュー】

ジャイルズ・マーティン

私はポールとリンゴと話し合った。
彼らが言ったのは

「これはバンドとしてのアルバムだ」

ということ。

私の父(ジョージ・マーティン)はクラスをまとめる指揮権を失い、
生徒たちが一丸となって自分たちのやりたい方法論を通した

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.41)

 

:
ジョージ・マーティンの息子ジャイルズ・マーティンへのインタビュー
最近ポールとリンゴから聞いたとしている。

ポールとリンゴは言った。「バンドとしてのアルバム」
ビートルズのメンバーははっきりと自覚していた。

White Albumはバンドとしてのアルバムだった。
それまでのアルバムとは違っていた。

それまではビートルズというバンドがあり音を出していた。
その音を素材にしてジョージ・マーティンが商品となる音に整えていた。

商品化された音は聞きやすく素晴らしいものであり人気もでたが
ジョンは気に入らなくなった。ジョンは商品化された音に不満だった。

ジョン自身の求めていた音にするために音を整えていたマーティンを外した。
マーティンは指揮権を失った。

ジャイルズはビートルズをクラスの生徒、ジョージ・マーティンを先生としている。
ビートルズのデビューから「Sgt. Pepper's」まではそのとおりだっただろう。

White Albumでは生徒だったビートルズが叛乱をおこした。
先生を追い出して自治領とし、自分たちの音バンドの音を目指した。

 


【インタビュー】

ジャイルズ・マーティン

今までと違って、メンバーはエンジニアたちに対してあまり
友好的じゃなかった

エンジニアたちからのインプットをあまり取り入れなかった。
バンドだけで物事を決めたという感じだ

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.42)

 


ビートルズのメンバーがスタッフと対立したのはWhite Albumからだ。
プロデューサーのジョージ・マーティン以外のエンジニアとも友好的ではなかった。

スタッフの助言は聞かなかった。
バンドだけですべてを決めていった。

それがジョンが考えた自分の欲しい音を得るための方法論だった。
ジョンはバンド以外のすべてのものを排除することでバンドを奪還しようとした。

 


【インタビュー】

ジャイルズ・マーティン

父が言っていたからWhite Albumはアンハッピーな作品だと思っていた。
彼にはビートルズから必要だと思われず、自分の役割を確信できなかった
アルバムだからね。

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.42)

 


ジョージ・マーティンは驚いただろう。
それまで一緒に素晴らしい音を作ってきた。

自信もあったし自負もあった。
ビートルズも満足していると思っていた。

それがいきなりWhite Albumのセッションが始まると必要がないとされた。
一切の口をだすなというように扱われた。

青天の霹靂だっただろう。
想像もしなかっただろう。

家族に愚痴もでただろう。
White Albumが憎い。

いいアルバムではない。
私がプロデュースしていればもっと素晴らしいものになった。

マーティンは打ちのめされたはずだ。今まで積み上げてきた連帯感、
ビートルズとの一体感、自信、立場、すべてが失われた。

 


【資料】

マーティン自身の立場もかつてとは変わっていた。
65年8月EMIの社員でいることに飽き飽きした彼は
会社を設立してEMIを退社しRubber Soulのセッションからは
外部プロデューサーとしてビートルズを監督していた

ビートルズ 20世紀文化としてのロック P.198)

 


マーティンの会社での立場は変化していた。
すでにEMIの社員ではなかった。

マーティン自身が会社を立ち上げていた。
そんなことができたのもビートルズのおかげだった。

マーティンは自分の仕事に関する立場をすべてビートルズにおっていた。
そのビートルズが反乱した。マーティンは追い詰められた。

自分の指示に従うバンドだと思っていたのに
スタジオは混沌と叛乱に飲み込まれていた。