Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-7- 【Revolution 1】

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【 Revolution 1 】 -6-


プレイボーイ・インタビュー(1980年9月)にて。

ジョン
「僕はスローバージョン(Revolution 1)をヴェトナムや革命に対する
ビートルズの立場の表明としてシングルとして発表したかった」
「それをポールとジョージがテンポが遅すぎると反対した」

(ビートルソングス P.124)


ジョンは革命に対するビートルズの立場を表明したかった。
時期として、この時ちょうどよかった。タイミングは最適だった。

 

【年表】

1968年3月17日
ロンドンのアメリカ大使館前でヴェトナム反戦集会
ミック・ジャガー参加。
反権力のヒーローとなる。

ドアーズ
「名もなき兵士」
反戦

1968年8月
シカゴ暴動
演奏にMC5参加

ローリング・ストーンズ
「ストリート・ファイティング・マン」
放送禁止
初回プレス版、回収

1968年8月30日
ビートルズ
「Revolution」 シングルB面で発表
非暴力の立場を表明

 



ここしかなかった。
他のバンドは我先にと政治的立場を表明していた。
ミック・ジャガーはヒーローとなっていた。

そんな中、絶好のタイミングでビートルズも「Revolution」を
発表。
でも、B面だった。
B面での立場表明、革命への意思表示。
それは有効なのだろうか。
少なくともインパクトは激減した。
そしてジョン・レノンにとっては後々までインタビューで語るほどの
悔恨となった。

私にとってRevolutionとは、
シングルB面の「Revolution」(シングルB面)
ずっと聞いていた。
だから愛着がある。
このヴァージョンはとてもいい。

でも。
ジョンには。ジョンの気に入っていた
スローバージョンの「Revolution 1」で
シングル「A面」で立場表明をさせてあげたかった。

ビートルズはデビュー以来、最先端を走ってきていた。
2番手になんて一度もなったことがなかった。
それがこの瞬間、ビートルズは最先端でなくなった。
ジョンは足を引っ張られてしまった。
「らしくなさ」を嫌う保守的な考えに。
ビートルズらしさを保とうとするビートルズに。