Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-371- 【Honey Pie】

single, Walking In The Park With Eloise



【 Honey Pie 】 -4-

 


ポールは誰の影響でジャズを好きになったのか

 


【資料】

1974年10月18日

シングル「ウォーキング・ザ・パーク・ウィズ・エロイーズ」

ザ・カントリー・ハムズ名義

ポールの父ジェイムズが作ったデキシーランド風のインスト・ナンバー

ポールがこの曲を録音したのは、体調不良を訴え始めた父を
励まそうと思ったから

ザ・ビートルズ・マテリアル vol.3 ポール・マッカートニー P.36)

 


1974年10月、ポールは1枚のシングルを発表した。
アルバム「Band On The Run」と「Venus and Mars」に挟まれた時期だ。

演奏はポールのバンド、ウィングスで名義はザ・カントリー・ハムズだった。
ポールの父が昔に作曲したジャズの曲だった。

ポールはウィングスで演奏してシングルで発表した。
それは体調の悪い父親を励ますためだった。

ポールと父親はジャズという音楽でしっかり繋がっている。
ポールは父親を愛している。

ポールが父親を思う時そこにはジャズが流れている。
ポールはジャズと共に懐かしく幸せな父親との子供時代を持っている。

 


【資料】

ポール

僕のパパがいつも甘い昔の歌をプレイしていて
それが好きだった。
僕は1920年代のライターみたいなもんだよ。
僕は結局そういうのが好きだってこと

(NMEオリジナルズ:1962~1970 ザ・コンプリート・ストーリー P.112)

 


ポールの父はジャズ・バンドで演奏していた。
地方の映画館で演奏して収入を得ていたこともある。

本職は別にあり働いていた。
ポールの父はセミプロのジャズ・ミュージシャンだった。

ポールが小さい時ポールの父はよくジャズを演奏していた。
ポールは父の演奏を聞くのが好きだった。

ポールは父の演奏する昔のジャズが好きだった。
1920年代のジャズの作曲家になった気分でHoney Pieを作曲した。

ポールは1920年代のジャズが好きだ。
その音楽は父親からもたらされている。

 


【資料】

父が演奏していた甘い(fruity)、昔の曲の影響で
Honey Pieはできた。

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.224)

 


ポールの父が演奏していたジャズは白人向きの甘い音だ。
その音に影響されてポールはHoney Pieを作った。

 


【インタビュー】

1968年11月20日
ラジオ・ルクセンブルク

ポール

親父がよくこうした甘ったるい、古い曲を演奏していたし、
ぼくも好きだった。1920年代の作曲家になりたかったなあ。
ああいうトップ・ハットや燕尾服が好きだから

ビートルズ百科全書 P.344)

 


ポールの幼少期の音楽体験は父親の甘いジャズだ。
ポールは1920年代の甘いジャズの作曲家になりたかった。

甘いジャズはポールの音楽の最も古いルーツだ。
ロックン・ロールを体験するのはその後だ。

ポールはロックン・ロール・バンドで成功した後も
古くて甘いジャズの作曲家に憧れている。

甘い音もトップ・ハットや燕尾服も含めて古いジャズが好きだ。
このインタビューの5年後にTV番組でその趣味を披露する。

トップ・ハットをかぶりピンクの燕尾服を着てステッキを持って
ダンサーを従えて自作の曲でポールは踊る。

ポールの大好きな父親が大好きな甘いジャズの音とポールの大好きなスター、
フレッド・アステア。全てポールの大好きな物で作った世界だ。