Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-374- 【Honey Pie】

Magical Mystery Tour



【 Honey Pie 】 -7-

 


白人向けのジャズがポールを通じてビートルズに与えた影響について

 


【資料】

ポール

1964年に作った曲。
フレッド・アステアの影響なんだ。

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.44)

 


ポールはこの曲を1964年に作った。
フレッド・アステアの影響を受けたジャズの曲だ。

 


【資料】

1956年5月、ポールはピアノで曲作りに挑戦していた。

父ジムが自作の「エロイーズ」を演奏するのを聞いて
自分にも出来るかもしれないと思ったのだ

ザ・ビートルズ 源流と進化 P.44)

 


1956年5月、ポール13歳。
曲作りに挑戦していた。

ポールはピアノで作曲した。彼の作曲の最初はピアノだった。
それは父に影響されたものだ。

父が作曲した「エロイーズ」を聞いて作曲しようとした。
ポールの最初の作曲は父親のジャズ曲を手本にしていた。

 


【資料】

ポールの自作曲 1956~57

アイ・コール・イット・スーサイド
1956年5月頃
父の作品を意識したダンスバンド向けの曲だが主旋律とサビまでの
40秒ほどしかできなかった。

この曲は70年のソロアルバム「McCartney」で「燃ゆる太陽の如く/グラシズ」
のメドレーのなかで8秒だけ聞ける。

ザ・ビートルズ 源流と進化 P.45)

 


判明している中でポールが初めて作曲した曲は
「アイ・コール・イット・スーサイド」で1956年5月頃だ。

ジャズ演奏家の父の影響を受けたジャズ曲だ。
完成はされてない。

1970年のポールの1stソロアルバム「McCartney」の5曲目
「Hot As Sun~Glasses」の中で8秒間演奏されている。

 


【資料】

Hot As Sun~Glasses

後半に歌われるのは「Suicide」という未完成の曲の一部

(アルバム「McCartney」 CD付属解説書 P.13)

 


この資料で「Suicide」という未完成の曲と記載されているのが
ポールが人生で最初に作曲した曲「アイ・コール・イット・スーサイド」

この曲にはポールの父親との幸せな
少年時代の思い出が付着している。

ビートルズの解散で精神的にまいっていたポールは
幸せな少年時代にまで逆行したのだろう。

 


【資料】

ポールの自作曲 1956~57

無題(のちに「When I'm Sixty-four」)
1956年5月頃
父を意識したダンスバンド向けの作品で最初の主旋律とサビまでで
歌詞はなし

 


「アイ・コール・イット・スーサイド」に続いてポールが作曲した
2曲目の曲が「When I'm Sixty-four」だ。

この曲も1曲目と同じく父親に影響されたジャズの曲だ。
白人のジャズでダンスバンド向けの作品だ。

ポールの作曲の最初は父親からの影響のジャズだ。
ジャズの曲をピアノを使って作曲した。

ポールの音楽のルーツは始まりはジャズでありその後にロックン・ロールだ。
作曲も同じように始まりはジャズでありその後ロックン・ロールになる。

最初のルーツであるジャズに影響された曲、When I'm Sixty-fourは
「Sgt. Pepper's」に入り、Honey Pieは「White Album」に入った。

 


【資料】

「ホワイト・アルバム」(3CDデラックス・エディション)
3-18

CD版 Anthology3に収録済み
ポールがゴキゲンでスキャットやオー・イェイなんて
声が楽しめる

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.95)

 


Esher Demos(イーシャー・デモ)が存在する。「ホワイト・アルバム」
(3CDデラックス・エディション)3枚目18曲目で聞ける

とても陽気な演奏だ。ジョンも楽しそうにコーラスをつけている。
ジョンはジャズ曲のこの曲を嫌っているようには聞こえない。

ポールはこの曲を1964年に作曲していた。
White Albumで録音しようとEsher Demosを録った。

 


【資料】

When I'm Sixty-four、Your Mother Should Know など
それまでにも同趣向の楽曲をよく作っていたポール

ハリー・ニルソンに刺激される形で本曲(Honey Pie)を作ったらしい

Maxwell's Silver Hammerやウィングス時代のYou Gave Me The Answer
などへと連なる名曲だ

レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.89)

 


ポールは最初の音楽体験がジャズであり、最初の作曲もジャズだった。
ポールはジャズが音楽のルーツであり身についていた。

ビートルズというバンドの中では直接にはジャズを封印していたが
その影響は現れていた。

Sgt. Pepper'sからポールは直接的にジャズ曲をするようになった。
それがWhen I'm Sixty-fourであり、「Magical Mystery Tour」の

Your Mother Should Knowだ。White AlbumではHoney Pieであり
Abbey RoadではMaxwell's Silver Hammer、そしてソロへと続く。

ジャズは一貫してポールの大好きなジャンルでありルーツである。
それは幼少期からビートルズ、ソロ時代になっても続いている。

ビートルズの初期に目立たないのはジョンの趣味に合わせたからだ。
中期からポールを通じてビートルズはジャズに影響されていく。

白人向けのジャズに最も影響されたアルバムが「Sgt. Pepper's」だ。
そしてEP盤「Magical Mystery Tour」へと続く。

Sgt. Pepper'sもMagical Mystery Tourもボードヴィル調に
舞台で演劇、ダンスと共に披露されても何の違和感もない。

Sgt. Pepper'sとMagical Mystery Tourでポールとジョージ・マーティン
その音に夢中だ。

ジョンは彼らからロックン・ロールを取り戻したかった。
ジャズの影響を受けた音をジョンは好きになれない。

ジョンはジョージ・マーティンを追放する。White Albumは白人向けの
ジャズの影響を受けていないロックン・ロールを取り戻すジョンの戦いだ。