Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-378- 【Honey Pie】

 

【 Honey Pie 】 -11-

 


【まとめ】

 

White Album」セッションでの録音27曲目

 


Honey Pie について

ポールはこの曲を1964年に作っている。
フレッド・アステアの影響下の曲だ。
初期、1920年代のジャズ
父親の好きな昔の白人のジャズ曲を作り父親にプレゼントした
Honey Pieの録音に合わせてセッションに復帰したのだろう。
マーティンが必要とされるのはもうこの曲のようなジャズしかなかった。
2本のテープを全部使って録音された。
膨大な量の録音がある。
ジョンはジャズのようなリード・ギターを弾いた。
ポールのその時代のジャズ曲へのこだわりが感じられる。SP盤の音を
再現するほど戦前のジャズはポールの愛すべき音楽でありルーツだった。
サックスとクラリネットでのアレンジはマーティンがした。
マーティンはこの曲のジャズ・アレンジをするために帰ってきた。



ビートルズの状態について

ポールと父親はジャズという音楽でしっかり繋がっている。
ポールの父はセミプロのジャズ・ミュージシャンだった
ポールは1920年代の甘いジャズの作曲家になりたかった。
甘いジャズはポールの音楽の最も古いルーツだ。
ポールも弟のマイケルも育ててくれた父親に感謝し慕っている。
2人が出会ったときポールの母親だけが亡くなっていた。
ジョンはポールに心から同情し憐憫の情を感じた
その1年後にジョンの母が亡くなる。ジョンとポールの絆はますます
強まっていく。2人だけの悲しみの世界を共有していく。
ポールには父親との幸せな思い出がありジョンにはない。
ポールの幸せな思い出の象徴は父親が演奏していたジャズだ。
ポールの最初の作曲は父親のジャズ曲を手本にしていた。
ポールが人生で最初に作曲した曲「アイ・コール・イット・スーサイド」
1970年のポールの1stソロアルバム「McCartney」の5曲目
「Hot As Sun~Glasses」の中で8秒間演奏されている。
ポールは最初の音楽体験がジャズであり、最初の作曲もジャズだった。
ポールはジャズが音楽のルーツであり身についていた。
ビートルズの初期に目立たないのはジョンの趣味に合わせたからだ。
中期からポールを通じてビートルズはジャズに影響されていく。
ジョンはよくポールの音楽の趣味を批判するが
それはポールのルーツの一つであるジャズに対してである。
ジョンが自分の好みではない曲を
バンドで演奏することに寛容だからだ。
ジョンとポールの信頼関係は揺らいではいない。
ジョンはバンドでの演奏を心から楽しんでいる。ポールの趣味と受け入れる
ジョン。バンドは安泰だ。それがこの1曲に集約され表現されている。