The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-315- 【Glass Onion】
【 Glass Onion 】 -9-
1968年9月13日のピアノは本当にポールなのか。
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【資料】
この頃には、ポールはフランシーに飽きていた
キャベンディッシュに住まわせた自分を責めていた。
ポールはこの問題が片付くやいつも心地よい気持ちにしてくれて
何も求めてこない人物に再び声をかけた。
「まったくいきなり電話してきたんです」とマギー・マクギヴァンが
振りかえる。
(ポール・マッカートニー ザ・ライフ P.284)
:
ポールはフランシー・シュワルツへの情熱が冷めて別れた。
キャベンディッシュの自宅からフランシーを追い出した。
その後、ポールはマギー・マクギヴァンに「いきなり」電話した。
マギーは以前からの知り合いで「何も求めてこない」女性だった。
○
【資料】
一同が向かった先はサルディニア島の海辺にあるホテルで
五日間過ごしたのである。
マギーを乗せたアストンマーティンでの違法なドライブのことを
振り返ったポールは「Back Seat」という歌を歌いだした。
(ポール・マッカートニー ザ・ライフ P.284)
:
ポールとマギーが向かったのはサルディニア島だった。
そこで2人は5日間過ごした。
サルディニア島は2人がでかけるつい先ほど1週間ほど前に
リンゴがバンドを脱退して逃避していた場所だ。
リンゴからいい所だとポールが聞いたのだろう。
それでポールが突然バカンスを思いつき「いきなり」電話したのだろう。
そこでの2人でのドライブのことをポールは歌にした。
その歌は「Back Seat」という歌だった。
「Back Seat」はポールのソロ2ndアルバム収録の
「The Back Seat Of My Car」のことだろう
○
【資料】
彼らがマスコミに気づかれたのは最終日のことだった。
町中を歩く2人の姿をカメラマンが写真に収めた
イギリスの「サンデー・ピープル」紙に「ポール・マッカートニーの
新恋人」という記事と共に、その写真がでたのだった
(ポール・マッカートニー ザ・ライフ P.284)
:
ポールとマギーは写真にとられた。
「サンデー・ピープル」紙に掲載された。
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【年表】
1968年8月7日
ポールはフランシーと共に空っぽになった
アップル・ブティックに出かけ、Hey JudeとRevolutionの
タイトルを擦りガラスの窓にペンキで書いた。
この頃には、ポールはフランシーに飽きていた
1968年9月3日
リンゴがサルディニア島から帰ってくる
1968年9月26日
リンダがロンドンに2回目の訪問
ポールとリンダ一緒に暮らし始める
:
8月の初めポールはフランシーへの情熱が冷める。
その後フランシーを自宅から追い出す。
9月3日にリンゴがサルディニア島から帰ってくる。
ここでポールがリンゴからサルディニア島のことを聞いたはずだ。
9月26日にはリンダがロンドンに到着する。
ポールとリンダは一緒に暮らし始める。
以上の年表からポールがマギーとサルディニア島に行ったのは
8月7日から9月26日までのどこか。おそらく9月3日以降だ。
この間にポールの行動が5日間不明であるところを探したところ
5日間不明である期間はなかった。
この間でポールの行動が不明なのは最長で4日間であった。
それは1968年9月12日~9月15日の期間である。
4日間ではあるが9月16日に帰国してセッションに参加したら
5日間の旅行になるだろう。
ただ、問題は9月13日のGlass Onionへのピアノのオーバー・ダブだ。
このピアノがポールだとするとこの推測は成り立たない。
多くの本と資料が9月13日のピアノはポールとしている。
そうだとするとこの期間のポールとマギーの旅行は不可能だ。
9月13日のピアノは本当にポールなのだろうか。
ポール以外の誰か、ジョンとかクリス・トーマスの可能性はないだろうか。
ピアノがポールだとすると、この資料に記載されている8月から9月の
ポールとマギーの旅行自体がありえないものになってしまう。
ただ今回、8月から9月のポールとマギーの旅行を記載した資料がここに
掲載した資料しか見つけられなかった。
「サンデー・ピープル」紙に掲載されたのだから資料はどこかにはあるはずだ
資料に確信をもてないため今回の疑問は保留にします。
1968年9月13日のピアノは本当にポールなのか。
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