Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-234- 【Hey Jude】

The Apple Boutique, Aug.1968



【 Hey Jude 】 -17-

 


ポール自身のことを歌った歌詞であれば歌詞の「彼女」はフランシーなのか。

 


【年表】

1968年7月20日~7月25日
ポールがHey Judeを閃いた

1968年7月26日
ジョンとポールはロンドンのポールの家(Cavendish Avenue house)で
Hey Judeを書き上げる

 


ポールの言葉を信じるならば、歌詞の内容はポール自身のことを歌っている。
そうだとすると歌詞の「彼女」とは誰を指すのだろう。

ポールがHey Judeの歌詞を閃いたのが7月20日~7月25日
ジョンとポールが二人で完成させたのが7月26日

ポールにはこの頃付き合っている人が3人いた。
その3人のうちの誰だろうか。

 


【年表】

1968年4月4日頃
ポールとフランシー
交際が始まり同居する。

1968年5月31日
Revolution 1 
フランシーがバック・コーラスをオーバー・ダブ

1968年6月4日
ポールとフランシーの交際が暴露される

1968年6月11日
Blackbirdのリハーサルにフランシーも同席

1968年7月20日~7月25日
ポールがHey Judeを閃いた

1968年8月3日
ポールとフランシー・シュワルツはレボリューション・クラブで
一緒に夜を過ごした。

1968年8月7日 深夜
ポールはフランシーと共に空っぽになった
アップル・ブティックに出かけ、Hey JudeとRevolutionの
タイトルを擦りガラスの窓にペンキで書いた。

 


3人の交際相手のうちの一人はフランシー・シュワルツだ。
1968年4月に交際が始まる。

ビートルズのセッションに参加している6月頃が交際のピークだろう。
ポールはキャベンディッシュの自宅で一緒に暮らしていた。

Hey Judeを作成した翌日の8月3日にポールはフランシーと二人で
レボリューション・クラブで一緒に夜を過ごした。完成の打ち上げだろう。

8月7日には二人で深夜のアップル・ブティックに出かけ、Hey Judeとタイトルを
擦りガラスの窓にペンキで書いてユダヤ人の反感を買う事件がおこった。

以上の経過からポールがHey Judeの歌詞を作成したとき
ポールとフランシーの恋愛はまだ続いている。

 


【資料】

1968年8月7日

閉鎖後のアップル・ブティック

これほどの一等地を無駄にするのはしのびないと思ったポールは
フランシー・シュワルツとアリステア・テイラーを伴って
白くなったガラスに「Hey Jude」と書きなぐった。

この頃には、ポールはフランシーに飽きていて、
彼女をキャベンディッシュに住まわせた自分を責めていた。

ポール・マッカートニー ザ・ライフ P.284)

 


8月7日のアップル・ブティックに「Hey Jude」と書いて
ユダヤ人の反感を買う問題がおこったころポールはフランシーに飽きていた。

8月に入ってポールのフランシーへの熱情は冷めつつあった。
この数週間後にはポールとフランシーは別れている。

7月20日~7月25日ポールがHey Judeを閃いた時は二人はまだ別れてはなかったが
ポールの気持ちは冷めつつあった。

少なくとも切羽詰まった恋の情熱はすでになかっただろう。ポールに歌詞を
書かせるほどの気持ちの高ぶりはフランシーは感じさせなかっただろう。

それに二人はずっと同居している。
そんな状況でポールは「now go and get her」とは書かない。

すでにポールはフランシーを手に入れている。
Hey Judeの歌詞の「彼女」はフランシーではない。