The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-250- 【Mother Nature's Son】
【 Mother Nature's Son 】 -2-
ポールはいつ、どこで作成したのか
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【資料】
Esher Demos(イーシャー・デモ)
14曲目
完成版に近い出来。ボーカルを模索している様子も窺われる。
(レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.95)
:
この曲はEsher Demosがある。
「ホワイト・アルバム」(3CDデラックス・エディション)の3-14曲目で聞ける
Esher Demosは1968年5月25日~29日であるので
それまでには作成されたことになる。
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【資料】
ビートルズがインドに滞在中に書かれた
(ビートルソングス P.144)
:
この資料では他の多くのWhite Albumの曲と同じように
インド滞在中に書かれたとしている
○
【インタビュー】
ジョン
マハリシの講話がヒントになっている。自然に関する話だった。
ぼくもChild Of Natureというのを作ったよ
何年かあとにJealous Guyになった曲だ。
2曲ともマハリシの同じ講話からインスピレーションを受けて生まれた
(プレイ・ボーイ・インタビュー1980完全版 P.348)
:
1968年2月、インドのリシケシュ(Rishikesh)での超越的瞑想に参加
ビートルズはマハリシ・マヘシュ・ヨギがした自然に関する講話を聞いた
同じ講話を聴いてポールはMother Nature's Sonを作り
ジョンはChild Of Natureを作った。
このいきさつからMother Nature's Sonが書かれたのは
インド滞在中だと思われたのだろう。
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【資料】
リヴァプールに帰ってから書き上げた曲
:
この資料ではポールはインドのリシケシュではなく
インドから帰ったあとにリヴァプールで書いたとしている。
○
【資料】
ポールは自然と人間の和合に関するマハリシの講話から着想を得たと
されているが、実のところ彼はこれをリヴァプールで父親のもとを
訪ねたあとで書いた。
(ビートルズ・リリックス名作誕生 P.376)
:
この資料の作者ハンター・デイヴィスはビートルズの身近にいて話を聞いていた。
ポールから直接この曲をリヴァプールの父親のもとを訪ねた時に書いたと聞いたのだろう
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【年表】
1968年3月26日
ポールとジェーンがインドから帰国
1968年5月25日~5月29日
Esher Demos(イーシャー・デモ)
:
この間にポールはこの曲を作成した。
1968年3月26日~5月25日にリヴァプールの父親の家で作成
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【資料】
ポールのMother Nature's Sonはリヴァプールの父親の家で
書かれた曲で古いスタンダード・ナンバーであるNature Boyを
ヒントにしている
(The Best Of The Beatles Book P.218)
:
リヴァプールの父親の家で書かれた。古いスタンダード・ナンバーで
Nat King Coleの「Nature Boy」から着想を得た。