The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-209- 【While My Guitar Gently Weeps】
【 While My Guitar Gently Weeps 】 -7-
第3回録音で難航するジョージのギター・ソロとジョージ・マーティンの不在
○
【資料】
1968年9月3日
第3回録音
リメイクにオーヴァーダブ
(The Complete Beatles Recording Sessions P.190)
:
前回の録音でリメイクとして14テイクのリズム・トラックを録音した。
ベスト・テイクを第14テイクとしてオーバー・ダブ。
○
【資料】
ビートルズがアビー・ロード・スタジオで行った
最初の8トラックのオーバー・ダブ
(The Complete Beatles Recording Sessions P.190)
:
ビートルズは8トラックで録音をするようになるが
この曲が8トラックでの最初の録音だった。
○
【資料】
ジョージが欲しがっていたのは泣きのギターだ。
でもワウワウペダルは使いたくないといって
逆行展開のギター・ソロを試みた。
結局全部ボツになった。
ちょうどそんなときエリック・クラプトンを参加させる話が持ち上がったんだ。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.190)
:
ジョージは泣くようなギター・ソロが欲しかった。泣くような音色としては
ワウワウペダルの使用があったがジョージにその気はなかった。
そのため泣くようなギター・ソロになるように逆回転を使ってギター・ソロを弾いた。
経験済みだった逆回転ギターで泣くような音色を得られると考えたのだろう。
ジョージの弾く逆回転ギターは困難を極めた。
結局逆回転はうまくいかずギター・ソロはエリック・クラプトンが弾いた。
ジョージはどうしても曲のテーマである「泣きのギター」の音色が欲しかった。
エリック・クラプトンを使うのはこの時点ではまだ考えてなかったはずだ。
なぜなら次回のセッションでもジョージは自分でリード・ギターを録音したからだ。
この時点ではジョージは泣きのギター・ソロを自分で演奏するつもりだ。
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【資料】
1968年9月3日
ジョージ・マーティンが休暇をとってしまい10月1日まで戻らない
予定だった。
この夜マーティンの代わりにコントロール・ルームに入ったのはケン・スコット
(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.361)
:
9月3日からジョージ・マーティンがセッションに来なくなった。
ジョージ・マーティンは休暇をとった。
この日から9月26日のセッションまでマーティンはプロデュースをしていないし
録音に参加もしていない。
マーティンはこの曲の完成にも参加していないし
エリック・クラプトンのセッションの現場にもいない。
Helter Skelterのリメイク、Glass Onion、I Will、Birthday、Piggies
全てのセッションに参加していない。
Happiness Is A Warm Gunも録音の最初から最後まで全て参加していない。
マーティンはWhite Albumの中で最も問題作で美しい曲に参加していない。
マーティンにとって無念だっただろう。
ジョンはじめメンバーの態度は屈辱だった。
プロデュースをさせてくれない。思ってもいないメンバーからの仕打ち。
自分の生徒だと思っていたビートルズのメンバーからの完全否定だった。
もしもこの日、マーティンがセッションにいたらどうだろうか。
ジョージのギター・ソロに何かしらの助言をしただろうか。
でもその助言はおそらく聞き入れられなかっただろう。
Sexy Sadieの時のようにジョージと口論になっただろう。
ポールはジョージの肩をもってマーティンに対抗しただろう。
仕事にならない状況だった。だからマーティンは自らセッションから外れた。