Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-208- 【While My Guitar Gently Weeps】

George Martin, Geoff Emerick, Ringo Starr

【 While My Guitar Gently Weeps 】 -6-

 


ジョージ・ハリスンの不満は何だったのか

 


【資料】

ジョージが突然、8月17日から21日までギリシャに行くことを
決めたため、19日(月)のセッションはキャンセルになった。

(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.359)

 

:
1968年8月16日に第2回録音をした。
第1~14テイクをバンド演奏で録音した。

その翌日の8月17日、ジョージ・ハリスンはパティとギリシャに旅行に行ってしまう。
突然の決定だったので予定されていたセッションはキャンセルとなった。

8月16日の録音には一応のベスト・テイクがあった。
そのベスト・テイクにオーバー・ダブをしていくところだった。

その自分の曲のセッションの最中にジョージはパティと旅行にいってしまう。
ジョージはセッションに気に入らないことがあったのだろう。

待ちに待っていた自分の曲のセッションを放り出して旅行に行った。
それくらいの問題がセッションにあった。

ジョージはそうせざるを得なかった。
セッションから突然ではあったがいったん距離を置かざるを得ない事情があった。

ジョージの不満は何だったのだろうか。
ジョージから見たセッションの問題点は何だったのか。

 


【インタビュー】

ジョージ・ハリスン

僕らはこの曲をレコーディングしようとしたんだけれど
ジョンとポールはぼくの作品を真剣にレコーディングするのが
難しいことがあった。

結局その日はレコーディングは実現しなかった。
彼らが真剣に考えようとしないし演奏さえしてくれない

(書籍 The Beatles Anthology P.306)

 


ジョンとポールがジョージの曲を真剣にレコーディングしてくれない。
これがジョージの悩みだった。

その日はレコーディングが実現しなかった、というのは第1回録音で
バンド演奏のリハーサルはしたが正式なテイクは録れなかったことを指す。

第1回録音のバンド演奏のリハーサルはテープをジョージが持ち帰り失くしている。
演奏を気に入らなかったのだろう。

第2回録音はバンド演奏を14テイク録音したが結局採用されていない。
ジョージにとって完全に納得できるテイクではなかったのだろう。

その原因をジョージは、ジョンとポールが真剣にしてくれないからだと考えた。
ジョージの曲だから真剣に考えようとしないし演奏さえしてくれないと考えた。

 


【年表】

1968年7月16日
ジェフ・エメリックが仕事をやめた。
(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.353)

1968年7月19日
ジョージとジョージ・マーティンが口論
マーティン
「なんて言ったらいいかわからないよ、ジョージ」
オノ・ヨーコ
ビートルズならもっとまともなSexy Sadieをやれるはずだ」

1968年8月16日
While My Guitar Gently Weeps
第2回録音

テープに「ビートルズのプロデュースによるビートルズの録音」と
書かれている。

1968年8月17日~8月21日
ジョージ・ハリスンとパティがギリシャに旅行

1968年9月3日
プロデューサー(ジョージ・マーティン)不在
ジョージ・マーティンが不在の初日

 


7月16日にはジェフ・エメリックが仕事をやめた。
7月19日にはSexy Sadieの録音中にジョージとマーティンが口論

8月16日にはビートルズのプロデュースとテープにはっきり書かれている。
マーティンはプロデュースをしていない。

8月17日には不満を持ったジョージが突然休暇をとって旅行に行ってしまう。
9月3日にはジョージ・マーティンがセッションに参加しなくなる。

ビートルズのメンバー全員とスタッフの間の関係が悪化して
スタッフが仕事ができなくなっている。

ジェフ・エメリックが職場を去り、その2ヵ月後にはマーティンが去る。
ジョージはまったく別の不満をジョンとポールに持ちセッションから逃げる。

ジョンとポールの結束は揺らいでいないがスタッフとは完全に断絶している。
メンバーのジョージも二人に不満を持っている。

この時のビートルズと周囲の状況はこういう状況だった。
ジョンの持ち込んだ混沌と叛乱の時代精神がセッション現場を根底から変えていた。