The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-174- 【Helter Skelter】
【 Helter Skelter 】 -13-
なぜジョージ・マーティンは不在になったのか
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【資料】
机の上にジョージ・マーティンの手紙が置いてあった。
「クリスへ。今度は私が休みをとるのでビートルズをよろしく」
(The Complete Beatles Recording Sessions P.192)
:
ジョージ・マーティンは休暇をとった。
普通に考えて録音中に休暇をとらない。
ジョージ・マーティンはビートルズに相手にされていなかったのだろう。
今までみてきた7月中旬まですでにビートルズとスタッフは険悪だった。
それから1ヶ月半の間にも改善は見られなかったのだろう。
険悪な状態は悪化したのだろう。
ジョージ・マーティンはプロデュースをさせてもらえなかったので
休暇をとったのだろう。
ジョージ・マーティンは悲しみ苛立ち悔しかっただろう。
前のアルバム「Sgt. Pepper's」では意気揚々だった。
全てがうまくいっていた。
彼は「Sgt. Pepper's」を自分のアルバムのように思っただろう。
それがジョンをはじめとしてポールも反旗を翻し敵対している。
ビートルズと断絶している。精神的にも休暇が必要だ。
誰かが代理でプロデュースしても彼らは軟化しない。それもわかっている。
苦労をかけるだけだ。だからこその「よろしく」なのだろう。
○
【資料】
初めのうちはビートルズに冷たくされたよ。
ポールはこう答えたのさ。
「君が僕らをプロデュースしたいならそうすればいい。
もしそうでないなら、追い出されても文句言うな」
これが励ましの言葉と思えるかい?
(The Complete Beatles Recording Sessions P.192)
:
誰もプロデュースができるとは思っていなかった。
まかせたジョージ・マーティンもビートルズがさせるとは思っていない。
当然、クリスは冷たくされる。
ポールは冷たく言った。
ポールはジョンの混沌と叛乱、革命の時代精神に染まっている。
ジョンの影響を受けてジョンと化している。
ポールはジョンがいつも通りなら絶対にこんな言葉を投げつけない。
ビートルズとスタッフの関係は最悪だ。
○
【資料】
1968年の秋にはすでにプロデュースにせよリミックスにせよ彼らの音楽に
関することはビートルズがほとんど自分たちでコントロールするようになっていた
(The Complete Beatles Recording Sessions P.192)
:
この日にビートルズはリズム・トラックと基本的な演奏を完成させている。
ジョージ・マーティンが不在の状態で完成させた。
プロデュースはビートルズ自身が自らしたのだろう。
おそらくポールがプロデュースの仕事をしたのだろう。
ビートルズはもうすでにプロデューサーを必要としていなかった。
自分達で全てできた。
ジョンにとっては自分の音を変えられてしまうプロデューサーなんて
不要どころか敵だったのだろう。
1968年9月9日、ビートルズにとってプロデューサーは不要だった。
ビートルズとスタッフの仲は最悪だった。
それはビートルズのメンバー間の不和とは関係ないはずだ。
7月16日にはビートルズに不仲はなくこの9月9日時点でもメンバー間に不仲はない