Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-154-  【Cry Baby Cry】

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July 17, 1968 at the London Pavilion on Piccadilly Circus.




【 Cry Baby Cry 】 -14-

 


なぜ7月17日は録音をしていないのか、何がビートルズにあったのか

 


【年表】

1968年7月15日
Cry Baby Cry
録音初日


1968年7月16日
Cry Baby Cry
録音2日目

ジェフ・エメリックが仕事をやめた。

1968年7月17日
映画館「ロンドン・パヴィリオン」で開かれた「Yellow Submarine」
のワールド・プレミアに出席した

1968年7月18日
Cry Baby Cry
録音3日目
完成

 


録音2日目にジェフ・エメリックが仕事をやめた。
その翌日の7月17日、映画「Yellow Submarine」のワールド・プレミアが開かれた

メンバーは全員出席し、そのために7月17日は録音がなかった。
翌日には録音を再開して完成させた。

 


【資料】

映画「A Hard Day's Night」の公開から4年と11日、
ロンドン・パヴィリオン・シネマは再び何千というビートルズ・ファンに
占拠されていた。

しかし、1968年になって再びビートルマニア現象が発生するとは
まさか誰も思っていなかっただろう。

(The Best Of The Beatles Book P.222)

 


映画「Yellow Submarine」のワールド・プレミアはビートル・マニア現象を
再現していた。前回の映画「A Hard Day's Night」から4年が経っていた。

 


【資料】

映画「Yellow Submarine」を最初に見たときビートルズの面々は
心底ショックを受けた。

今さら人前でこの映画のことを大々的に持ち上げることができなかった。

内々ではこの映画の目を見張るような革新的なアニメーション技術を彼らが
高く評価していたことが知られている。

(The Best Of The Beatles Book P.222)

 


映画「Yellow Submarine」は素晴らしい出来栄えだった。
人前で表明はしなかったがビートルズのメンバーも高く評価していた。

ビートルズ・ファンがピカデリー・サーカスに出現して占拠、喧騒につつまれた。
ビートルズ旋風の再来は思ってもみなかった楽しい出来事だっただろう。

当然ビートルズのメンバーは全員が意気揚々と出席した。
メンバーが予想もしていなかった素晴らしい映画だったからだ。