The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-312- 【Glass Onion】
【 Glass Onion 】 -6-
録音は4トラックなのか8トラックなのか
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【資料】
1968年9月16日
第4回録音
リコーダーを吹いているのはおそらくポール
2回のオーバー・ダブ
トラック6および8に録音。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.193)
:
演奏は4人同時演奏で以前の4トラック時に戻っている。
ではこの曲の録音は4トラックなのか8トラックなのか。
この資料ではリコーダーをトラック6および8に録音しているとある。
この曲の録音は8トラックだ。
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【年表】
1968年8月29日
Dear Prudence
トライデント・スタジオ
マニュアルでダブル・トラックしたリード・ボーカル
1968年9月12日
Glass Onion
アビー・ロード・スタジオ
第33テイクにジョンのリード・ボーカル、ADT
:
8トラック・レコーダーはADTができなかった。
だから8月29日のDear Prudenceのリード・ボーカルはジョンが2回歌った。
Glass Onionも8トラックだ。
だからADTはできない。
でも実際にはGlass OnionのボーカルはADTだ。
スタッフが何らかの工夫をしてADTを使用可能にしたのだろう。
前回のDear Prudenceの録音から2週間しかたっていない。だから根本的な
解決ではなく、おそらくマスターではなくミックス時にADTをかけたのだろう
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【資料】
1968年9月3日
実はEMIも8トラック・レコーダーを持っていると聞きつけると
テクニカル・エンジニアのデイブ・ハリスがその泥棒役を引き受けた
ハリスにいたっては危うくクビが飛ぶところだった
(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.361)
:
EMIも8トラック・レコーダーを持っていた。
調整が完了していなかったので使用禁止だった。
ビートルズはデイブ・ハリスに強引に持ってこさせた。
ハリスは会社からきつく咎められた。
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【資料】
Dear Prudenceをトライデント・スタジオで8トラック・テープの
機材を使って録音したあとこれからはすべての曲を8トラック・テープで
録音しようとビートルズは望んだため9月3日のセッションから
アビー・ロード・スタジオに8トラックの機材が入った。
(The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.32)
:
Dear Prudenceはトライデント・スタジオで8トラックで録音した。
ビートルズは8トラックが気に入った
今後全ての録音を8トラックで行うことを望んだ。
9月3日、アビー・ロード・スタジオで8トラックを使用可となった
9月3日はWhile My Guitar Gently Weepsの録音だった。
アビー・ロード・スタジオでの8トラック録音の最初の曲となった。
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【年表】
1968年7月31日
Hey Jude
:トライデント・スタジオ、途中から
1968年8月28日
Dear Prudence
:トライデント・スタジオ、最初から
1968年9月3日
While My Guitar Gently Weeps
:アビー・ロード・スタジオ、途中から
1968年9月11日
Glass Onion
:アビー・ロード・スタジオ、最初から
:
8トラックで録音された曲の年表
8トラック録音の最初はHey Jude
アビー・ロード・スタジオで使われた最初はWhile My Guitar Gently Weeps
8トラック・レコーダーのために他のスタジオを使用したのは1ヶ月間だ。
Glass Onionは8トラック録音の4曲目
この後、ビートルズは全曲8トラックを使用するのだろうか