The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-177- 【Helter Skelter】
【 Helter Skelter 】 -16-
レコード会社キャピトルはどのようにシャロン・テイト事件を利用したか
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【資料】
1976年2月、ビートルズとEMIが条件を修正しての再契約となった。
以後、EMIはビートルズの公式レコーディング曲を発売できるようになり
新たなコンピレーションを編んでもいいことになった
(ザ・ビートルズ・マテリアル vol.1 P.140)
:
キャピトルはシャロン・テイト事件を利用して
Helter Skelterのシングルを売りたかったわけではない。
キャピトルの思惑は別にあった。
キャピトルはビートルズの編集盤を売りたかった。
1976年2月に契約内容が変わった。
それにより編集盤を売ることができるようになった。
キャピトルは編集盤を売りたかった。
編集盤は大変な利益を会社にもたらすことはわかっていた。
○
【年表】
1973年4月
1962-1966 発売
1967-1970 発売
:
1973年にビートルズのベスト盤である「1962-1966」と「1967-1970」の
2枚のアルバムが発売された。
全米チャートで前者は3位、後者は1位となった。
ビートルズの編集盤が売れるのは経験済みだった。
○
【資料】
Helter Skelterは1976年の編纂アルバムの「Rock 'N' Roll Music」に
収録された
(ビートルズ百科全書 P.334)
:
1976年6月に編集アルバム「Rock 'N' Roll Music」が発売された。
再契約が交わされてキャピトルが自由に編集盤を売れるようになったその年に発売された
キャピトルは発売したくてたまらなかったのだろう。
とても迅速に発売している。
このアルバムにはBack In The USSR、Helter Skelter、Birthdayの
3曲がWhite Albumから収録された。
Helter Skelterは当時社会的に話題になっていたから選ばれたのだろう。
他の優れたRock'n Rollを差し置いてこの曲が選ばれたのはそういうことだろう。
この編集盤を成功させたかった。売りたかった。
だからシングルに選んだ。
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【資料】
日本ではアメリカの事情を知ってかしらずか「Rock 'N' Roll Music」からの
カットという形でHelter SkelterがA面となる
(ザ・ビートルズ・マテリアル vol.1 P.139)
:
日本ではアメリカのようにシャロン・テイト事件は深刻にならなかったのだろう。
シングルA面はそのままHelter Skelterとした。
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【年表】
1976年5月31日
米キャピタル
シングル「Helter Skelter」発売
1976年6月7日
アルバム「Rock 'N' Roll Music」発売
1976年8月7日
全米3位
:
シングル発売から1週間でアルバム「Rock 'N' Roll Music」発売
シングルはチャートを上昇して全米3位まで上がった。
アルバムはたくさん売れただろう。
本質的にはこの曲とシャロン・テイト事件にはなんの関係もないのに。
桁外れの異端者により結び付けられキャピトルは異端者を利用した。
キャピトルは売るためにはなんでも利用する。