Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-172-  【Helter Skelter】

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The Who



【 Helter Skelter 】 -11-

 


本当にポールはザ・フーの記事に触発されてこの曲を書いたのか

 


【年表】

1967年10月13日
ザ・フー
「I can see for miles」(恋のマジック・アイ)をリリース

1968年4月5日以降(~5月10日)
ポールがジェーン・アッシャーと一緒にスコットランドの農場で休暇
フランシーをモデルにBlackbirdを作曲

1968年5月30日~6月11日
ポールがHelter Skelterを作曲

 


ザ・フーの「I can see for miles」は1967年10月13日にリリースされている。
ポールはスコットランドでこの曲の記事を読んでいる。

スコットランドにポールが滞在したのは4月5日~5月10日のうちの数週間である。
ここで記事を読み下品でやかましいRock'n Rollを作ろうと思った。

この時にポールはジェーンと一緒に休暇を過ごし
フランシー・シュワルツをモデルにBlackbirdを作曲している。

この時にはポールはまだHelter Skelterを作曲していない。
イデアの断片はあったかもしれないが少なくともデモ作成できるほどではなかった。

ポールがHelter Skelterを作曲したのはWhite Albumのセッションが始まった
5月30日からBlackbirdのリハーサルでこの曲を披露する6月11日までの間だ。

 


【年表】

1968年6月11日
Helter Skelter/Blackbird - リハーサル

1968年7月18日
Helter Skelter
第1回録音

1968年9月9日
Helter Skelter
第2回録音

 


6月11日のリハーサルでのHelter Skelterのポールの演奏には
下品でやかましいRock'n Rollの姿はない。

これはリハーサルの中でのポール1人での弾き語りであるから
下品でやかましいRock'n Rollではないのはあたりまえかもしれない。

でもその1ヶ月後に行われた7月18日の第1回録音でも内容は
ブルース・ヴァージョンであり下品でやかましいRock'n Rollではない。

下品でやかましいRock'n Rollであるアルバム収録ヴァージョンはその2か月後になる
9月9日の第2回録音で演奏される。

ということはポールはHelter Skelterで下品でやかましいRock'n Rollを
しようとは少なくとも最初は思っていないことになる。

少なくとも7月18日のブルース・ヴァージョンを演奏するまではその意図がない。
当然、作曲した時には思っていない。

ポールがHelter Skelterを下品でやかましいRock'n Rollにしようと思ったのは
第1回録音と第2回録音の間、7月18日から9月9日の間である。

ポールの発言「そういう曲をやろうと思うんだ。すごくワイルドなやつを
そして書いたのがHelter Skelterなんだ」は間違っている。

インタビューに対するサービスかもしれないし単純に勘違いしただけかもしれない
印象的なザ・フーの曲の記事とHelter Skelterの凶暴さがつながったのだろう。

 


【インタビュー】

ポール

これはかなりいい作品になったと思う。
だから「君はバラードばっかりやっているね。センチメンタルな人だ」と
言われると不愉快なんだ。
そういう時は「調べたの?聞いたの?」と言ってやる。
別に言い訳をしたいわけじゃない。だけど、僕には別の一面があるんだ。

(書籍 The Beatles Anthology P.311)

 


Helter Skelterの下品でやかましいRock'n Rollをポールは気に入っていた。
ポールはこの曲が自慢だった。

ジョンのRevolutionに影響されてポールが作った曲だった。
それが思いのほか素晴らしい曲になった。

ジョンに触発されたときポールは素晴らしい曲を作る。
Strawberry Fields Foreverに触発されたPenny Laneのように。

ジョンに影響されて素晴らしい曲を作る。それまでのビートルズ、ポールそのままだ。
ジョンとポールの音楽的なつながりは揺らいではいない。

ポールはバラードのイメージでとらえられているのを気にしていた。
だから下品でやかましい、しかも素晴らしいRock'n Rollをアピールしたかったのだろう

アピールしたかったからインタビューでつい饒舌になった。
印象的だったザ・フーの記事まで披露してエピソードを作ったということなのだろう。