Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 52- 【Blackbird】

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Montagu Square in Central London

【 Blackbird 】 -10-

 

 


4人で暮らした時、ジョンに何が起こったのか

 

 

【年表】


1968年6月11日
Blackbird 録音

1968年6月11日以降
ジョンとオノ・ヨーコ、ポールとフランシーの4人は
Abbey Roadスタジオのすぐ近くのポールの家で同居する

1968年6月15日
ジョン & ヨーコ「どんぐり彫刻イヴェント」

1968年6月16日
ポール、TV収録

1968年6月18日
ジョン & ヨーコ、芝居を観に行く。
その後、イギリスのマスコミが反ヨーコを表明する。

6月19日以降
ジョン & ヨーコがリンゴのアパート(Montagu Square in Central London)、
ロンドンのモンタギュー・スクエアに入居する

1968年6月20日
Revolution 9録音

 



この頃ジョージとリンゴは不在だった。
6月11日の録音後、ジョンとポールはしばらく録音をしていない。

ビートルズのメンバー4人が揃っていないから
録音しなかったのだろう。

6月15日はジョン & ヨーコ、1968年6月16日にはポールが
予定されていたであろうイベントをこなしている。

録音のなかった6月20日まで約1週間。
ジョンとポールは楽しいバカンスの気分だっただろう。

4人でどこかへ出かけたのだろうか。人目に付く場所へはいけなかったはずだ。
カップルとも見られるのはまずい。

この頃が4人で一緒に暮らしていた時だろう。
その後、帰ってきたリンゴから部屋を借りて引っ越したのだろう。

リンゴは旅行から6月19日に帰ってくるので
ジョン & ヨーコがポールの家を出てリンゴのアパートに入るのは6月19日以降だろう。

4人で一緒に暮らして若い頃に戻った気分。高揚。
怖いものは何もない。もうタガは外れている。

その勢いのまま、6月18日にジョンとオノ・ヨーコはジョン原作の芝居
「ザ・ジョン・レノン・プレイ:イン・ヒズ・オウン・ライト」を見に行く。

公の場に出ていったのはもう隠さないという意志があったのだろう。
ジョンはオノ・ヨーコのお披露目をしたかったのだろう。

そして実際にマスコミの集中砲火を浴びた。
ジョン & ヨーコはポールの家から芝居へ行ったはずだ。

マスコミはポールの家から出ていくジョン & ヨーコを目撃したのだろうか。
そんな中で6月20日からまたWhite Albumのセッションが始まる。