Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 14- 【Revolution 1】

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The Complete Beatles Chronicle 1957-1970

 

【 Revolution 1 】 -13-

 


オノ・ヨーコをスタジオに参加させるために、ジョンはどのように考えを巡らせたか

 


【年表】(前掲)

1968年5月30日
Revolution録音(1と9の原曲)初日、第18テイク

1968年5月31日
第18テイクをテープ・リダクションして第19テイクとする。

第19テイクにポールとジョージとポールの新しいガール・フレンド、
フランシー・シュウォーツがバック・コーラスをオーバー・ダブ

オノ・ヨーコがジョンと共にコラージュをオーバー・ダブ

(The Complete Beatles Chronicle 1957-1970 P.346)

 


オノ・ヨーコもポールの恋人のフランシー・シュウォーツも
録音2日目の同じ日にビートルズの録音に初参加となる。

ということは、フランシー・シュウォーツの参加は
ポールのジョンへのあてつけ、嫌みではない。

おそらく、ジョンとポールは前もって彼女達を
連れてくることを話し合っていた。

ビートルズのメンバーは近親者をスタジオにほとんど呼んでいない。
ほとんどなっかたことが、この日に重なる。

これは偶然ではない。
2人は前もって話し合って打ち合わせをしていた。

ジョンは最初からオノ・ヨーコをスタジオに呼ぶつもりだった。
録音に参加させるつもりだった。

ジョンは限界だった。
ジョンは孤独を感じていた。

このままではスタジオ・セッションもままならない。
「Sgt. Pepper's」の時のようになってしまう。

そこへ現れたオノ・ヨーコはジョンの精神的支柱だった。
ジョンにとっては天使であり希望だった。

オノ・ヨーコを携えてスタジオに臨み
一緒にいてもらって録音する。

恐怖と不安。
不眠とドラッグ。

苛まれていたジョンがビートルズの録音に参加するには
この方法、オノ・ヨーコと共に、しかなかった。

録音は「Revolution 1」からと決めていた。
この曲には今の新しいジョン・レノンの全てがある。

革命、政治的立場の表明、時代のスポークスマン
コラージュと混沌とオノ・ヨーコ

新しいシングル。
もちろんシングルA面。

これで「Sgt. Pepper's」と「Magical Mystery Tour」で失った
本来の自分を取り戻せる。

Rock'n Rollの最先端であり最高の創造者だった。
自由でアイデアに溢れ人々にも尊敬され注目を集めるスターに戻れる。

あとはタイミングだった。
まず、この曲の後半のコラージュに参加させようとジョンは思う。

それが無難だ。ポールには伝えておこう。
ポールは都合のいいことに新しい彼女がいるので連れてくると言う。

それはとてもいい。ポールの彼女も来れば緊張はやわらぐだろう。
とても自然な流れになる。

ジョンは、他のメンバーやスタッフにはっきりと説明したくなかった。
これからオノ・ヨーコをスタジオに連れてくること。一緒に録音すること。

正面からの説明はジョンにはとても怖くてできない。
できればなしくずしにしたいとジョンは思う。