The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-397- 【The Continuing Story Of Bungalow Bill】
【 The Continuing Story Of Bungalow Bill 】 -2-
なぜ一部とはいえオノ・ヨーコがソロ・ボーカルをとったのか
○
【資料】
実際、飛び入り自由で、スタジオにいた者はみな大声でコーラスを歌い、
拍手喝采し、口笛を吹きジョンのリード・ボーカルをバックアップした。
クリス・トーマス
「あの晩は無礼講だったね」
「スタジオ周辺にいた人はみんなレコーディングに参加したよ」
(The Complete Beatles Recording Sessions P.199)
:
この曲のセッションは自由な雰囲気に満ちていた。
スタジオにいた人は誰もがこのセッションに参加した。
大声でコーラスを歌い拍手し口笛を吹いた。
この曲のセッションに関しては無礼講だった。
みんな自由にレコーディングに参加した。
White Albumの長いセッションも終わりに近づいていた。
それは誰もがわかっていた。
この曲のレコーディングはこのセッションの打ち上げのようだ。
○
【資料】
ヨーコ・オノはnot when he looked so fierceの1行を
ソロで歌ったが、ビートルズのレコードに女性リード・ボーカル・ラインが
登場したのはこれが初めてだ。
リンゴの妻モーリーン・スターキーもコーラス隊に加わった。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.199)
:
オノ・ヨーコは「not when he looked so fierce」の1行をソロで歌った。
女性のリード・ボーカルはビートルズのレコーディングで初めてだ。
ビートルズのメンバー以外がリード・ボーカルをとるのも初めてだ。
メンバーもスタッフも驚いただろう。
今までコーラスはメンバー以外が歌ったことがあった。
この曲でもリンゴの妻モーリーン・スターキーがコーラスで歌っている。
でもリード・ボーカルはなかった。初めての女性ボーカル、オノ・ヨーコの
ソロ・リード・ボーカルは衝撃だっただろう。
ポールはどう思っただろう。
本来であればここはポールが歌っていたであろう。
White Albumのセッションからジョンはポール以外にもう1人
パートナーを持った。それがオノ・ヨーコだ。
Revolution 9はジョンとオノ・ヨーコの共同作品だ。ジョージが一部参加
してはいるがフルクサスからの影響を受けたジョン & ヨーコの作品だ。
セッションも最後になってジョンはもう1曲ジョン & ヨーコの
曲を録音した。それがこの曲だ。
○
【資料】
ヨーコがif looks could kill it would have been us instead of him
のボーカルを「母親」役で担当している。
(The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.32)
:
オノ・ヨーコは次の1行も歌っている。
「if looks could kill it would have been us instead of him」だ。
ここはソロではなくジョンと一緒に歌っている。
ジョンと同じくらいの声の大きさではっきりと歌っている。
○
【資料】
ヨーコはnot when he looked so fierceの一節をソロで歌ったが
ビートルズのレコーディングで女性がリード・ボーカルをとったのは
これが最初で最後である。
(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.369)
:
オノ・ヨーコのソロ・ボーカルだ。
女性のリード・ボーカルはこの曲が唯一だ。
○
【資料】
スタジオではヨーコ・オノに出番が与えられ、母親のセリフを
甲高い声でうたった
(ビートルズ・リリックス名作誕生 P.344)
:
オノ・ヨーコがこの部分をソロで歌ったのは
歌詞的に登場人物の母親のセリフだったからだ。
○
【資料】
White Album(スーパー・デラックス・エディション 2018)
CD6 セッションズ 16曲目
テイク2
歌詞が完成版と異なる。
ヨーコのボーカルはすでにある
(レコード・コレクターズ 2018年 12月 P.93)
:
この曲のベーシック・トラックは3テイク録音された。そのうちの第2テイクが
White Album(スーパー・デラックス・エディション 2018)で聞ける。
この第2テイクを聞くとオノ・ヨーコのボーカルが上記の2行だけではなかった
ことがわかる。オノ・ヨーコは初めから最後まで
ジョンと一緒にリード・ボーカルを歌っている
ジョンにとって元々の構想はジョンとオノ・ヨーコが一緒に歌うことだった。
ジョンにとっては最初からこの曲はジョン & ヨーコの曲なのだ。
だからライブ性とハプニングを重視した。
この特徴はジョン & ヨーコのパフォーマンスと同じだ。
ジョン & ヨーコの作品としてジョンは録音したのだ。
この曲の録音は無礼講でみんなが自由に録音した。
それはライブ性、ハプニング性を重視したフルクサスの芸術活動の一環だ。