The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-216- 【While My Guitar Gently Weeps】
【 While My Guitar Gently Weeps 】 -14-
ジョージにとってセッション現場はどのようなものだったのか。
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【資料】
9月5日と9月6日のレコーディング・データにプロデューサーの記載がないが
実質的にはビートルズがその役をつとめている。
ジョージ・マーティンとの関係も密接ではなかった
(The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.32)
:
ジョージ・マーティンは9月3日から不在だった。
セッションに参加していない。
だからこの曲の正規版ヴァージョンには一切関わっていない。
エリックのセッション参加にも関わっていない。
プロデューサーはいない。
プロデューサーはビートルズがつとめた。
ジョージはこの曲をいいものにしたかったがビートルズ全体を
まとめて導いてくれるプロデューサーはいない。
ジョージにいたのは自分の曲を重要視していないジョンとポール、
献身的にドラムを叩く仲のいいリンゴ、あとバンドと対立していたスタッフだった。
ジョンとポールはジョージを常に軽く見ている。
ジョージは二人に威圧され劣等感も感じていた。
自分の曲に自信があっただけに悔しかった。
他人を連れてくるというような奇策をとらないと本気で取り合ってくれない。
そんなメンバーにジョージは失望しただろう。
今後どうしたものかと途方にくれただろう。
自分の曲に自信がある。今までの自分とは違う。
自分はいい曲を書いた。自分にはできる。
ジョージに今までと違う自信と自負が芽生えた。自分はできる。
バンドのメンバー以外のミュージシャンとの交流も後押ししただろう。
エリックとは親友でバンドのメンバーよりも親密だった。
旧友のジャッキー・ロマックスのプロデュースを行いシングル発売した。
ジョージは自立した。
邪魔をしているのはジョンとポールだ。二人がいては自由になれない。
○
【資料】
これだけの名曲を書き、これだけ秀逸なアレンジまでやってのけたジョージ
(これがビートルズだ P.192)
:
プロデュースは作曲者本人がする。
ジョージにはプロデュースの才能があった。
White Albumのセッション中に行ったジャッキー・ロマックスのシングル
「Sour Milk Sea」の優れたプロデュースをしている。
While My Guitar Gently Weepsのプロデュースの素晴らしさ、巧みさ。
この曲の成功はジョージに一段と自信をつけさせただろう。
○
【インタビュー】
ジョン
White Albumはただ「これは僕の曲だ。僕らはこんな風にやろう。あれは
君の曲だ。君たちはそんな風にやるんだね」という風にやっただけなんだ。
(書籍 The Beatles Anthology P.305)
:
アレンジは作曲者がする。それがWhite Albumでのルールだった。
このルールはジョンとポールのような相棒をもたないジョージには厳しいものだった。
でもジョージにはプロデュースの才能があった。
ジョージは自分の将来に光明がさしたと感じただろう。