The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 110- 【Ob-La-Di,Ob-La-Da】
【 Ob-La-Di,Ob-La-Da 】 -10-
録音4日目、リメイクの初回の経過について
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【資料】
1968年7月8日
録音4日目
この日はニュー・ヴァージョンを12テイク録音。
ポール:ファズ・ベース
リンゴ:ドラム
ジョージ:アコースティック・ギター
ジョン:ピアノ
ジョンのパートはリリースされたヴァージョンの特徴ある
キーボード・イントロを含む。
彼にこのプレイを促したのはインスピレーションばかりか
フラストレーションでもあったようだ。
(The Complete Beatles Recording Sessions P.174)
:
一応の完成をみたテイク5の3日後、全てを録り直した。
リメイクとなる全く新しい12テイクを録音した。
Ob-La-Di,Ob-La-Daの録音が長引いたのは、ジョンがその曲のアレンジは
作曲者が決めるというルールを作ったからではないか。
ジョンは苛立ちながらも自分の作ったルールに従って作曲者であるポールに
アレンジを全面的に任せようとした。
なぜポールは何回も録り直しを重ねたのか。
それはこの曲をシングルにしたかったからだろう。
最初の録音の時とは違って、ポールはバンド・メンバーの4人が
一緒になって演奏しリズム・トラックを録音することを選んだ。
最初の録音ではリズム・トラックはポールとリンゴのみだった。
足りないのは4人のメンバーでの息の合ったバンド演奏だと思ったのだろう。
シングルA面を目指してポールは何度もやり直した。
ポールの完璧主義がジョンの苛立ちをますます増悪させた。
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【資料】
リチャード・ラッシュ(アシスタント・エンジニア)
「リンゴが気の毒でしたよ。昼間の3時から夜中の1時まで、ろくに休憩もとらずに
プレイして、次の日も同じことの繰り返しなんですから」
「ジョンが何かのドラッグでフラフラになってセッションに現れると
鍵盤を叩きはじめたんです。テンポもそれまでの倍の速さになってた」
セッションを重ねるにつれて緊張感や危機感は目に見えて高まり、メンバーは
些細なことですぐに腹をたてるようになった。
この日のセッションの終了は午前3時
(The Complete Beatles Recording Sessions P.174)
:
確かにこの時の録音は夜中の1時~3時くらいまで続いた。
メンバー特に体力を使うドラムであるリンゴが疲れたのは確かだろう。
ジョンはフラフラになってセッションに現れた。
疲れとドラッグでフラフラだったのだろう。
ポール自身どこをどう変えたらよくなるのかわからなかったのだろう。
わからないままに演奏だけを強いたのだろう。ポールはあせっていた。
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【資料】
ポール自身はお気に入りのナンバーでなかなか納得いくサウンドが得られなかったのか
何回もリメイクしている。だが、最初のテイクとはあまり違いはないようだ。
(全曲解明!!ビートルズサウンズ大研究(下)P.70)
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リリース盤に採用されたのはこのリメイク・ヴァージョン
リメイクはしたが結局変わっていない。