Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

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The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 69- 【Everybody's Got ~】

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Linda Eastman

【 Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey 】 -6-

 


なぜポールは強行スケジュールにしてまでリンダ・イーストマンに会いに行ったのか

 


【年表】
1968年6月20日~6月25日
ポール、米、ロサンゼルスへ。
リンダ・イーストマンに連絡を取り、リンダはニュー・ヨークから
ロサンゼルスへポールに会いに次の日移動して一緒に過ごす。

1968年6月26日
スタジオでリハーサル

 


ポールはリハーサル前日までアメリカに行っていた。
アメリカでリンダ・イーストマンと会っていた。

 


【年表】

1968年5月31日
ジョンとポールがそれぞれオノ・ヨーコとフランシー・シュワルツを
スタジオに連れて行く

1968年6月4日
ポールがフランシーとつき合いだした。

1968年6月11日以降
ジョンとオノ・ヨーコ、ポールとフランシーの4人は
Abbey Roadスタジオのすぐ近くのポールの家で同居する

6月19日以降
ジョン & ヨーコがリンゴのアパート
ロンドンのモンタギュー・スクエアに入居する

1968年6月20日~6月25日
ポール、米、ロサンゼルスへ。
リンダ・イーストマンに連絡を取り、リンダはニュー・ヨークから
ロサンゼルスへポールに会いに次の日移動して一緒に過ごす。

1968年6月26日
スタジオでリハーサル

 


ポールはオノ・ヨーコとセッションが始まってからずっと
スタジオで一緒に録音作業をしていた。

そろそろ1ヶ月になる。
一日中一緒にいれば嫌でもオノ・ヨーコのことがわかってくる。

ジョンとオノ・ヨーコの強い絆も見えてくる。
短期間だったが4人で一緒に暮らした。嫌でもわかる。

オノ・ヨーコがどのような影響をジョンに与えたか。
ジョンはオノ・ヨーコと共に流れ込んできた時代精神「混沌と叛乱」に夢中。

ジョンはオノ・ヨーコから芸術的刺激を受けて絶好調だ。
ポールは自分にもオノ・ヨーコのような芸術的なパートナーが必要だと思う。

フランシー・シュワルツはセッションに連れてくる役割としてとりあえず
スタジオに連れてきていた。もちろん最初は恋愛感情があった。

でも芸術的なパートナーとしては彼女は物足りなかった。
フランシー・シュワルツはオノ・ヨーコにはなれなかった。

ジョン & ヨーコがリンゴのアパートへ去ってからポールは決心する。
芸術的なパートナーを見つけて来なければいけない。

そうでなければジョン & ヨーコになれない。
対等になれない。追いつけない。

ポールはフランシーをスタジオに連れて行くことにした時と同じように考える。
自分の知っている女性で芸術的なパートナーとなれるような女性。

そして5月14日にポールに電話番号を渡してきたリンダのことを思う。
写真家だから芸術的だろう。彼女なら芸術的なパートナーになれるのではないか。

オノ・ヨーコと同じくニューヨーク育ちで裕福な家の娘。学校も同じだ。
そして奔放だ。

6月20日にポールはアメリカへ行く。
ゆっくりと滞在してリンダが芸術的パートナーとしてふさわしいか判断したかった。

しかし6月26日には「Everybody's Got ~」のセッションの予定が入っている。
ジョンとのセッションは絶対だ。そのため6月25日には帰ってきた。