The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 40- 【Revolution 9】
【 Revolution 9 】 -13-
メンバーの評価はどうだったのか
○
【資料】
「Revolution 9」をジョンが誇らしげにプレイバックしたが
ポールの顔には暗雲がたちこめた
ポールの答えは「悪くない」の一言だった。
リンゴとジョージは一言も口をきかなかった。
:
ポールは「Revolution 9」に困惑した。
○
【資料】
(Revolution 9は)
ポールやジョージ・マーティンの反対を押し切って収録され
発表当時から各方面で物議をかもした問題作だ。
(レコード・コレクターズ1996 11 P.48)
:
ポール、ジョージ・マーティンは反対した。
○
【資料】
ジョージ・マーティン
「私はジョンと非常に熱心にこの曲に取り組んだ。あれは二人で
作り上げた音景だ」
ジョージとリンゴもこの曲への貢献を主張している。
ポールも参加させてもらえなかったのを悔やんでいる。
(The Beatles Remastered CD Guide P.160)
:
確かにジョージ・マーティンはこの曲の録音に関わっている。
当時はこの曲に好意的ではなかったが、後になってこの曲を
認めている。
歴史的な出来事として認めたのかもしれない。
○
【資料】
ポールは以前にも増して、ジョンへのライヴァル心を
表面化させている
本当は「Revolution 9」に参加したかった、というのは
インディカ・ギャラリーに出資し、ジョン・ケージの著作にも
触れていたポールならそれが本心だろう。
(Revolution 9を)「White Album」に収録するのに
反対したのは悔しかったからではないのか
(レコード・コレクターズ 2018年 12月号 P.71)
:
ポールはジョンが一緒にRevolution 9を作ろうと誘ったら
喜んで一緒に作っただろう。
一緒に作ったら、ジョンがアルバムに入れようと言ったなら
当然だと言っただろう。
ポールにとって、ジョンが自分以外の人と作ったことが問題だった。
ジョンがポールと作れば何の問題もなかった。
ポールは1年前にサウンドコラージュ「Carnival Of Light」を
ビートルズ名義で作ったけれど、ジョンは興味を示さなかった。
ジョンはサウンドコラージュに夢中になったのではない。
その背後にある思想、フルクサスの体現する時代精神に夢中になった。
だからジョンにとってはポールとの「Carnival Of Light」や
「Tomorrow Never Knows」のテープ・ループと
オノ・ヨーコとのサウンドコラージュは全く異質のものだった。
「Revolution(1と9の原曲)」を録音したセッション第1日から26日目。
Revolution 9が完成する。
ポールが不在の時もジョンはオノ・ヨーコと作業を続けて完成させた。
ポールは得体のしれない違和感をそろそろ感じ始めたはずだ。